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アンドラ 地図
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アンドラ旅行記 1
バルセロナ起点、アンドラ、モンセラット丸4日の旅(その1)
リポーター:kazuuzoo旅行スタート日:2009/10/30
旅行終了日:2009/11/03
2009年10月30日:ブリュッセル-バルセロナ
2009年10月31日:バルセロナ-アンドラ-バルセロナ
2009年11月1日:バルセロナ-モンセラット
2009年11月2日:モンセラット-バルセロナ
2009年11月3日:バルセロナ-ブリュッセル
効率良く観光するには…悩んだ末に金曜日仕事を終えてそれから出発することにした今回の旅行、これが裏目に!かなり忙しく、ようやくぎりぎりで飛行機に乗りました。
しかも遅延発生でバルセロナに到着したのは23時過ぎ。それからバスで市内にと思っていたら、なんと乗ったバスが普通の路線バス、市内まで1時間掛り、ホテルに着いた時には1時でした。
でもさすがスペイン、まだ店もやってるし、人もたくさん街を歩いてます。ベルギーとはちと違う!!!
シャワー浴びてさっさと寝ます。
というのも…次の日アンドラに行きたかったから。
翌日朝早くまた起きて、北バスターミナルにやってきました。
北バスターミナルはマドリッドなど南の地区へのバスの出発地点にもなっています。
到着時5時半過ぎ、でももう結構人が来ていました。
アンドラ行き6時15分のチケットを買いました。
6時30分にもありますが、6時15分発のバスは直通バスだそうで、30分発よりも所要時間が少ないそうです。
いざ出発、と同時に…やはり疲れがたまっていたのかバスの中でzzz。
気がついた時にはすでにアンドラに到着!!
所要時間ちょうど3時間位でした。
ちなみに停まっているバスがアンドラまでのバスです。
アンドラ…と言っても何があるのかよく分からず、とりあえず街中方面に向かうことにしました。
歩いて行く途中、看板を見ると←フランス、→スペイン、う~ん、これだけ見るとなんとまぁアバウトな看板でしょうか!?
アンドラの首都アンドラ・ラ・ベリャです。
首都と言ってもそれほど大きな街ではありません。
いろいろと調べるとアンドラは税金がかからない国、普通20%近く掛るヨーロッパの消費税が無税なのでスペイン、フランスから買い物に多くの人が訪れます。ただ、まだ朝9時過ぎ…店もやってません。どうしようかなぁと思ってなぜか街の高い部分に行こうと思いました。街を散策しながら高台を目指します!
途中、小さな教会を見つけました。サントアンドリュー教会です。この教会の建物は1975年に再建されたものだそうで、その前はもともと13世紀建造、17世紀に1度再建されているようですが、いずれも雪崩で壊れてしまったようです。
確かにこの場所、傾斜地のため雪崩がきたらひとたまりもないかもしれません。
高台にやってきました。高台からのアンドラ・ラ・ベリャです。ちょうど紅葉(黄色ですが…)の季節で木々の黄色が非常にきれいでした。
そしてこのアンドラ・ラ・ベリャの街が山に囲まれた谷底に出来た街であることが判ります。この後、一度街に戻り、せっかくなのでスペインとの国境まで戻ってみることにしました。
アンドラ-スペイン国境まではバス+徒歩で行くことができます。アンドラ・ラ・ベリャから1番のSant Julia de Loria行きのバスで終点まで行き、そこから坂を下りるように歩いて10分くらいです。Sant Julia de Loriaから国境まで、当然でしょうが歩いている人などいませんでした(^^;
国境で写真撮ってたら…スペイン側の警察が出てきました。やっぱり怪しいですよね…しかも警察官、スペイン語??カタルーナ語??で話してきて全く言ってることが分かりません。最終的には英語の話せる警官がやってきて警察の私有地に入っていたみたいで、そこには入るなって言って帰っていきました。
ちょっと緊張の一瞬でした。ということでスペイン側の写真を1枚とってアンドラに戻ります。
再びアンドラに帰ってきました。今度は山を登ってバスでアンドラ・ラ・ベリャに戻りました。
アンドラ・ラ・ベリャに帰ってきてもう少し街を散策します。まずはバス停のそばにあったsant Esteveという教会。
続いてアンドラの国会です。ふつーの家にも思える建物ですが…
ちゃんとアンドラの国旗も掲げられています。そしてアンドラの国章も。
アンドラの国は独立国ですが独立したのは1993年、まだ新しい国です。フランス大統領とウルヘル司教の2人が共同元首という形をとっています。
そのままエスカルド地区までやってきました。このちょっとクリスマスツリーのような建物、カルデアという温泉施設です。ここでゆっくり…でも良かったのですが、もう少しいろいろなアンドラを見たくて今回は写真だけです。
エスカルド地区を散策してここからもう少しフランス国境のほうに行こうかと思いました。ちょっと遅い昼食食べて、いざ出発です。
バス停で路線図があったのでパチリ。ちょっと見難いですが、スペイン国境方面へは1番のバス、フランス国境方面へは2,3,4のバスで、数字の少ない路線程手前の終点までしか運行されていません。今回はひとまず、意味はないですがカニ-リョに行くことにしました。
カニーリョに到着です。小さな町ですが、スキー場あり、インフォメーションありで、きっと冬は大勢の人が来るんだろうなぁって思いました。
今の時期は…ひっそりとしてました。
カニーリョにある建物です。
水力で石を回して小麦を挽いて小麦粉を作る施設だそうです。19世紀から20世紀の初めに使われてたそうで、山間のアンドラならではの水力小麦挽き工場だったそうです。
カニ-リョの教会です。小高い土地にあります。ただ詳細、よくわかりませんでした…
ぶらぶらしてそろそろアンドラ・ラ・ビリャに帰ります。
カニ-リョに来るバスで、紅葉のきれいな場所を通ってきたのを思い出して、次の街まで歩いて下りることにしました。多分1時間掛らない位だったと思うけど…きれいな景色を見ながらのんびり歩きました。
エンカンプの街が見えてきました。山の中腹にあるSant Roma de les Bons 教会が街を見守るように建っています。
エンカンプの街にようやく到着です。ここからバスでアンドラ・ラ・ビリャへ帰ります。この街は2番のバスの出発点ですのでカニーリャよりもバスの頻度があります。
アンドラ・ラ・ビリャ17時発のバスでいざバルセロナへ出発。途中、スペインに入って最初の大きな街、ラ・セウ・ドゥルジェイを過ぎたころ、日がだんだんと沈んできました。ちょうど街の向こうに山そして月がきれいに見えたのでバスから撮ってみました。
バルセロナには9時前に到着、そこから今日の宿に向かう途中、凱旋門がきれいにライトアップされてました。その上にはやはり月がきれいに出てます。
ということで、再びパチリ。
翌朝、起きてびっくり!!なんと足がとても痛い!!
アンドラで歩きまくったのが悪かったのか!?とにかく左足がなんか骨まで響くような痛さ。
でもそんなことでめげていたらせっかくの旅行が台無し。ということで無理やり出発です。
今日のしょっぱなはグエル公園へ。ホテルを出て5分たたずに難関が…えっ、この坂下りてその先の坂を
登ったところがグエル公園!初めからかなりの難所です。でも頑張ってグエル公園までたどり着きました。
しかも正面の入り口ではなく横から入ってきました。
早速グエル公園を散策。
有名なグエル公園の広場です。モザイクで飾られた部分はベンチになっていてまだ開園して間もない時間にもかかわらずたくさんの人が既に座っていました。
ここからはバルセロナの街が一望、そりゃ~あの坂道を登ってきたんだから当然ですが…
サグラダファミリアも見えますが、本来きれいに晴れてれば海まで見えるそうです。残念ながらこの日は見えませんでした。
グエル公園はもともとイギリス風の都市住宅を作ろうとしたところで総戸数60を予定して開発が進められました。残念ながら途中で開発が中断、その後バルセロナ市に寄贈され公園となったそうです。
この造成区の低地部分と高地部分をつないだのがこの回廊です。
前の写真の回廊の上にやってきました。ここを歩いて高地部分へと向かいます。それにしても…足が痛い!!
高地を散策中、1軒家を発見!ちょっとガウディーっぽいんですが…このグエル公園には2軒?、3軒?の完成した家があるそうですがそのうちの1軒?
最後までちょっと謎でした。
高台を歩いてると、なんともっと高い場所があることに気がつきました。しかも人がいる!!
ということは行けるということでしょう。ならば!いざ頂上へ!ということで目指したのはいいのですが、途中足が痛くて後悔したのは言うまでもありません…
頂上に到着!!!!
頂上からのバルセロナの街並みです。
う~ん、やっぱり海が見えないのは残念…
続いて反対側です。
このグエル公園のある丘の向こうにはティビダボという標高535mの丘があります。この丘からはバルセロナの街が一望、夜景も奇麗だそうです。
今回はちょっと行けませんでした。
グエル公園の上部を一周してきました。
足が痛くて休みながらの見学だったので、大体2時間近く掛ったでしょうか!?
続いてグエル公園内にあるガウディー博物館へ。
この建物は公園内になる完成した建物の1軒でガウディーが住んでいた建物を利用しています。
ガウディー博物館にはガウディーが住んでいた時のもの、そしてガウディーに関連するものが展示されています。(あまり大きくない割には入場料がちょっと高い気がしますが…)
展示品のベンチです。このベンチガウディーの作品だそうです。ガウディーは建物だけでなく、そこに付随するものにもこだわりを持っていたそうで、このベンチもそんなガウディーのこだわりがあるのでしょう!?
この人はガウディー、ではなくグエルです。
この人がいなければ今のガウディー作品は考えられません。まだガウディーが若いころからこのグエルはガウディーの才能を買っていたからこそ、このグエルの投資でたくさんのガウディー建築が作られることになったそうです。
本来なら入り口なのでしょうが…今回は出口のそばとあえて言わせてもらいます。
トカゲのオブジェです。
広場のモザイクもそうですが、ジュジョールというガウディーのお弟子さんの作品だそうです。
このジュジョール、ガウディーとは親子ほど年が離れていたのですが、ガウディーはジュジョールに全幅の信頼を寄せていたそうです。
このトカゲのモザイクの下にある噴水です。
この辺は、週末ということもあってものすごい人でした。
ようやく入り口?出口?に到着。門を挟んで2つの建物があります。そのうちの1つ、門番小屋です。
お菓子の家の様だと形容されるかわいい建物です。
もう1つの建物、管理事務所です。中に入れるのですが…とにかく足が痛くてスルーです。
グエル公園、見どころたくさんですので全部見ると半日くらいは掛ります。本来の入り口から出て、少しガウディーの余韻に浸ろうと市内のガウディー建築を見に行くことにしました。
まずはカサ・ビセンスです。ガウディーの初期作品、確かにガウディの建築にしてはフツ-の建物な気がしてしまします。多分角ばってるからでしょうか??
もともとは庭ももっと大きかったそうですが、敷地の一部が売却されて元来のカサ・ビセンスの魅力が半減されてしまったそうです。
現在は私有地で住んでる人がいるそうです。どんな人が住んでるのでしょう…やっぱりガウディーファンなのでしょうか??
続いてカサミラです。山がテーマのこの建物、カサ・ビセンスとは異なりかなり曲線的です。
この建物の内部は一部入れるのですが、このときかなり長い列ができていたのと、足が痛いのでパス。
外観だけを休憩がてら ボーッと見てました。
この建物はガウディー作というよりは増改築を担当したということです。やはり内部に一部有料で入れるそうです。かなり中は良く、入場料を払っても見る価値ありっていううわさは聞いていたのですが…どうにも足がついていきません!!もし次回来ることがあればぜひ登ります!!
というわけでここで再度休憩、ゆっくり眺めてきました。
実は…この日の宿はモンセラット。この足の痛さで大丈夫かものすごい不安を抱きながら一路モンセラットを目指しました。
アンドラ旅行記 2
ピレネーへ(15) ピレネーの小国 アンドラへ ~2009年 夏休み~
リポーター:korotama旅行スタート日:2009/08/22
旅行終了日:2009/08/30
アンドラ
小国巡りもブームになり始めたkorotama家。
せっかくピレネーへ行くのだから、と、スペインとフランスの間にチョコンとある「アンドラ公国」に立ち寄ることにしました。
いやはや。行ってみてびっくり。
首都のアンドラ・ラ・ヴェリャは、山間の狭い土地によくこれだけの町を作ったなぁ、と、korotamaにとっては驚きの"都会"でした。
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【行程】
8/22(土) Narita - Toulouse
8/23(日) Toulouse - Vielha (Val d'Aran 教会巡り)
8/24(月) Vielha (Artiga de Lin,Saut Deth Pish トレッキング)
8/25(火) Vielha (Val de Boi 教会巡り)
8/26(水) Vielha - Andorra La Vella
8/27(木) Andorra La Vella (Refugl de Sorteny,Vall del Madriu-Perafita-Claror トレッキング)
8/28(金) Andorra La Vella - Toulouse
8/29(土) Toulouse -
8/30(日) Narita
【2009 Pirineos Driving Map】
http://maps.google.co.jp/maps/ms?source=s_q&hl=ja&geocode=&ie=UTF8&hq=LES+JACOBINS+loc:&split=1&msa=0&msid=113923146550411158103.000471e7911e38d0ce190&ll=43.052834,1.477661&spn=2.251756,4.938354&z=8
ピレネー山中にある小国、Principat d'Andorra アンドラ公国。
外務省のデータによると、国土は468平方km、人口は2007年で75,000人。
国家として独立したのは1993年。
でも、国家元首はフランス大統領とスペイン在のウルヘル司教の共同元首。
どのくらい小さいのかなぁ、と、調べてみたら、ものによって集計の方法が様々なので一概には言えないみたいだけれど、まだまだ小さい国が何十もあるようで、ちょっと驚いたkorotama。
南側のスペインから入国すると、これまで走っていた国道 N-145号線が CG-1号線へと変わります。
この道路が、北側のフランスへと抜けるのですが、総距離は約36.6km。
あとどのくらいで国境かねー、なんて走っていたら、突然スペイン側の税関建物が現れました!
けど、ここを通った時点では、スペイン側の税関だとは気が付いていませんでした。
入国の時が1か所だけでしたからね。
何かチェックがあるかなー、と期待していたのだけれど、スペイン入国時同様、ノンストップでスルースルー('_')
入国スタンプは貰えなかったけれど、せめて出国スタンプは欲しかったなぁ。
税関を抜けると、「ANDORRA」の標識。
これが国境か?
呆気なく通過。
そして、反対車線(アンドラ → スペイン)がものすごい行列!
アンドラでは消費税がかからないため、隣国スペイン・フランスから大勢の人が買い物にやって来ます。
そんな話は聞いていたけれど、この大行列にはやはりびっくり(@_@)
それなりにチェックが行われるのでしょうかねー。
って、大行列に驚いていたら、またまた建物。
こちらはアンドラの検問所。
ここも、何事もなくノンストップ通過・・・。
あーーーー。
アンドラの入国スタンプが欲しいよぉ~~~。
引き返そうか諦めようか・・・。
でも、反対車線の大渋滞の中には入りたくないしなぁ・・・。
と、悩みながら走っていると、右手にインフォメ発見。
リヒテンシュタインやサンマリノではこういったところで入国スタンプを押してくれるー、なんて話を聞いていたので、期待に胸弾ませて中へ入りました。
が、その期待も裏切られ、スタッフさんは「ポリスに聞いてみてちょうだいー」と。
CG-1号線。
狭い山間の町を通り抜けます。
国境過ぎて最初の町だったか、通り沿いに綺麗で大きなスーパーがあり、駐車場は車でぎっしりでした。
スペインへ帰る車たちもそこから出てきたのかなー。
アンドラに入ったら、首都であり、宿泊地でもある Andorra la Vella アンドラ・ラ・ヴェリャはすぐかな、と思っていたら、意外に遠かったです。
両側はすぐ山、という谷底を走ります。
Andorra la Vella アンドラ・ラ・ヴェリャ 到着です。
国境から中心までは10km程でしょうか。
標高 1,023m。
町のすぐ後ろから、絶壁が迫っています。
最初にホテルにチェックインしようと、町中に入ったのですが、ビルがひしめきあい、狭い道路を車が渋滞よろしく連なっている…。
これまでの数日間が静かな町だったので、korotama ボー然。気は滅入る…。
町の中を、しっかりと護岸された Riu Valira ヴァリラ川? が流れています。
一部分は暗渠のようになっていて、
インフォメや道路が乗っていましたー。
夜のインフォメ
犬の飼い主さんへの、マナー呼びかけ。
可愛いラストですねー。
市民の憩いの場にもなっていますー。
夜のメリーゴーランド。
ヨーロッパの人達って、メリーゴーランドが好きですね。
通りすがりで見つけた教会、Sant Esteve。
【 Sant Esteve 】
ロマネスク様式だけれど、何度も改修や増築が行われているようです。
最初の建築は10世紀にまで遡るとのこと。
【 Sant Esteve 】
中は白っぽい壁に覆われていて、アラン谷やボイ谷で見てきたロマネスク様式とは全く違った雰囲気です。
今あるほとんどの部分は17世紀以降に修復だか増築されたもののようです。
あの素朴さに惹かれていたkorotamaたちの心、動かない。
【 Sant Esteve 】
祭壇奥
【 Sant Esteve 】
バラ窓にパイプオルガン
Sant Esteve のすぐ近くに、市民が憩う広場がありました。
この憩いの広場は、崖を利用して造られた駐車場ビルの屋上でした。
さて、2泊する Hotel President です。
市の中心から少々西寄りに離れてはいますが、市内、徒歩圏です。
Hotel President
Avinguda Santa Coloma 42-44,
AD500 Andorra La Vella
狭い土地にひしめき合うようにビルが建てられている アンドラ・ラ・ヴェリャ です。
ホテル内部にもそんな雰囲気が漂っています。
インテリアは良かったです。
でも、安い料金の部屋でしたからね、きっと、そのせいでしょう。
窓を開けると、そこは裏手のビル。
開けられないことはないけれど、開ける気分にはなれない景色。
空調も壊れていて、修理は頼んだけれど、いまいち効かない…。
朝食は楽しみました。
朝食付き 2泊で 124ユーロ。
ホテルも駐車場は付いていますが、生憎満車でした。
そのため、車は近くの公共駐車場に停めます。ホテルからは歩いて数分の場所。
悩んだのが、この料金ボックス。
チケットを買ってダッシュボードの上に置いておくのだけれど、最大5時間、と書いていある。
でも、既に停まっている車を覗くと、5時間をはるかに超える、翌日の午前中が期限になっているのが結構ある。
・・・ん?
料金ボックスを写真に撮ってホテルに戻り、レセプションのお姉さん・お兄さんに聞いてみるが、何故か方法を知らない。はては、
「な~に、適当に入れておけば平気よ~」なんて、お気楽な事を言い出します。
再び、駐車場に戻り料金ボックスと睨めっこしたお抱え運転手。ついに理解!
夜8時~朝9時は料金がかからないから、その13時間を除いて、置きたい時間まで(最大5時間)の料金を入れる、というものだったのです!
30分20セントですからね。ホテルの駐車場よりもはるかに安くつきました(^○^)
アンドラ・ラ・ヴェリャでの夕食です。
二晩、町中へ探しに行きましたが、選択肢はあまりありませんでした。
たまたまなのか、探したエリアがそうだったのか、洋品店とかはたくさん並んでいるのに、レストランがポツ、ポツ、と点在なんですね。
こう、集中しているーみたいなエリアが見つけられませんでした。
それでも、入ったお店には満足できたので、よかったのではありますが(^。^)
最初は Reataurant la Cantina。
パエリアが食べたーい、というお抱えカメラマンのリクエストにお応えして、
Paella de arozz negro と Fideua de Marisco。
イカ墨のパエリアと、魚介入りパスタのパエリア風?。
パスタの方は焼きそばのようでしたが、両方とも、美味でございました(^○^)
そうそう、お供は、日中暑かったので、お抱えカメラマンは生ビール。korotamaは赤ワインをいただきました(^。^)
〆は、エスプレッソね。
全部で35.10ユーロ。
二日目は、昨晩の隣のレストランですー。
ちょっと、昨日のウェイターさんの目が気になりましたけどね(^_^;)
Bar Restaurant Vilarrasa。
なぜか店先には籠に入ったインコと文鳥が置かれているお店です。
こちらではセットメニューをいただきました。
なんと、8.5ユーロです。
お抱えカメラマンは、
カタルーニャ風サラダとカタルーニャ風ソーセージ。
デザートはチョコレートアイスだったかな。
カタルーニャ風サラダは何が来るのかと思ったら、レタス・トマトに、ハムとサラミがのったものでした。
けど、周りのテーブルでも案外これを食べている人が多かった。
korotamaは、ロシア風カネロニとローマ風のイカ。
ローマ風のイカって、どんなものが来るかわからずに注文したんですが、あ、、、、また失敗しました。
苦手な揚げ物です。。。しかも、フライドポテトまで付いていて、ダブルパンチです(;_:)
お店の人には申し訳なかったけれど、イカのは外させていただきました…。
デザートは、さっぱりプリン(^.^)
そうそう、二晩とも食事はテラスでいただきました。
喫煙OKのエリアではありましたが、外の風に当たりたくて。
Vilarrasa の店内。
女将さん、カード決済の方法が今一つわからなかったらしく、少々手こずっていましたー。
店内は閑散としていますが、外は賑わっていました。
皆さん、テラスが好きなんですねー。
アンドラ検問所まで徒歩で引き返してお巡りさんに尋ねてみたけれど、あー、やっぱり駄目でした(;O;)
スペイン側に戻って聞いてみてくれやい、と、最後には言われたけれど、結構な距離があるので、それも断念。
インフォメ。
入国スタンプは駄目だったけれど、アラン谷やボイ谷では見つけられなかったパッチは置いてあり、ウキウキ購入。
スタッフのお姉さんにハイキングコースを教えてもらい、「アンドラマップは如何ですかー」と営業されて、安かったし親切だったので、それも購入。
それぞれ、2ユーロ。
そうそう。
時刻、既に18時は過ぎていたけれど、気温は29度。
ピレネー山中ではあるけれど、暑いのでありました。
ホテル屋上から谷側を眺める
ホテル屋上から山側を眺める
ホテル屋上から市街地を眺める
アンドラではガソリンも安いです。
殆どのスタンドで、レギュラー(?)が 1.025ユーロ/リットル。
アンドラ・ラ・ヴェリャからフランス方面へかなり離れた町で数件1.00ユーロ/リットルがあったくらいでした。
ちなみに、スペインのアラン谷の安めのスタンドで、1.090ユーロ/リットルでした。
アンドラ 写真2
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アンドラ
アンドラ公国(アンドラこうこく)、通称アンドラは、ピレネー山脈にあり、スペインとフランスに囲まれている国家 国。ミニ国家の一つ。首都はアンドラ・ラ・ヴェリャ。国家元首(共同大公)はフランスの国家元首(現代では共和国大統領 (フランス) フランス大統領)とスペインのウルヘル司教である。略名 アンドラ
日本語国名 アンドラ公国
国旗画像 Flag_of_Andorra.svg
国章画像 Image:Andorra coa.png 100px アンドラの国章
国章リンク (アンドラの国章 国章)
位置画像 LocationAndorra.png
公用語 カタルーニャ語 カタロニア語
首都 アンドラ・ラ・ヴェリャ
最大都市 アンドラ・ラ・ヴェリャ
元首等肩書 アンドラの元首 共同元首
アンドラ公国
『アンドラ』より : アンドラ公国(アンドラこうこく)、通称アンドラは、ピレネー山脈にあり、スペインとフランスに囲まれている国家 国。ミニ国家の一つ。首都はアンドラ・ラ・ヴェリャ。国家元首(共同大公)はフランスの国家元首(現代では共和国大統領 (フランス) フランス大統領)とスペインのウルヘル司教である。略名 アンドラ
日本語国名 アンドラ公国
国旗画像 Flag_of_Andorra.svg
国章画像 Image:Andorra coa.png 100px アンドラの国章
国章リンク (アンドラの国章 国章)
位置画像 LocationAndorra.png
公用語 カタルーニャ語 カタロニア語
首都 アンドラ・ラ・ヴェリャ
最大都市 アンドラ・ラ・ヴェリャ
元首等肩書 アンドラの元首 共同元首
アンドラ・プラデシュ
『アーンドラ・プラデーシュ州』より : アーンドラ・プラデーシュ州は、インドの州の一つである。アンドラ・プラデシュ州の歴史は古く、紀元前2000年頃のヒンドゥ神話であるアイトレヤ・バフマナやプラマス、およびラーマヤナ、マハブハラシャなどのインド叙事詩の中に、その名を見出すことができる。
アンドラ・プラデシュ州
ANDHRA PRADESH
この記事はWikipedia:ウィキプロジェクト 国 ウィキプロジェクト 国の雛形を加工して使用しています。
アンドラ・プラデシュ
ఆంధ్ర ప్రదేశ్
Andhra Pradesh
アンドラ・プラデシュ州は、23の県(ジッラール జిల్లాలు)に区分されている。
アディラーバードゥ県 (అదిలాబాదు ; Adilabad)
アンドラ・ラ・ベリャ
ファイル:Escut d”Andorra la Vella.svg thumb 150px 紋章アンドラ・ラ・ベリャ(カタルーニャ語:Andorra la Vella)は、
アンドラ アンドラ公国の首都。
アンドラの南西部に位置し、地名はカタルーニャ語で「古いアンドラ」を意味する。
ファイル:An-map-ja.png right 250px
新石器時代から人が住んでいた跡がある。アンドラは、イベリア半島のムーア人との緩衝地帯として8世紀にカール大帝によって設置されたスペイン辺境領の一つになる。1287年以来のフランスおよびカタルーニャ州 カタルーニャのウルヘル司教の共同統治の時代から、アンドラ・ラ・ベリャはアンドラの中心都市として機能していた。共同大公の制度のため、アンドラは独自性を保ち続けた。20世紀、アンドラ・ラ・ベリャは忘れられた地域であった。アンドラ自体、ヴェルサイユ条約でも言及されないような存在だった。1993年、アンドラは初の憲法を制定、ウルヘル司教とフランス大統領を共同元首とする議会制民主主義を敷き、正式に独立国家となり、アンドラ・ラ・ベリャはその首都となる。2010年の冬季オリンピック開催都市に立候補するも、最終選考に残らなかった。
アンドラーシュ・シフ
アンドラーシュ・シフ(Andras Schiff, Schiff András, 1953年12月21日 - )はハンガリーのピアニスト。磨かれたタッチと、知性的でありながら愉悦感あふれる表現で、ヨハン・セバスティアン・バッハ バッハ、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト モーツァルト、フランツ・シューベルト シューベルトなどドイツのバロック音楽及び古典派音楽を中心とするレパートリーで傑出したピアニストの一人。優れた室内楽奏者としても知られる。ブダペスト生まれ。5歳からピアノを始め、フランツ・リスト音楽院でパール・カドシャ、ジェルジ・クルターク、フェレンツ・ラードシュらに学ぶ。さらに、ロンドンでジョージ・マルコムに師事。
アンドラゴジー
アンドラゴギー(Andragogy)は、もともとはドイツの教育者アレクサンダー・カップが1833年に使用した言葉であるが、アメリカ合衆国の成人教育の理論家マルコム・ノウルズ(Malcolm S. Knowles、1913年4月24日-1997年11月27日)により、成人教育における主要な概念として発展されたものである。ノウルズは、ギリシア語の「成人-教育」を意味する言葉から発想されたアンドラゴギー(Andragogy)を通常の教育学をいうペタゴギー(Pedagogy
アンドラーシュ2世
『エンドレ2世』より : エンドレ2世(II Endre, 1167年-1235年10月21日、在位1205年-1235年)は、ハンガリー王国アールパード朝の国王。ベーラ3世の子。アンドラーシュ2世と呼ばれることもある。1196年、父・ベーラ3世の死後、長兄のイムレ1世が後を継いだことを不服として反乱を起こし、その結果、父の時代に最盛期を迎えたハンガリーの国力を大きく衰退させてしまうこととなった。ちなみに兄との王位継承争いには敗れたが、1204年に兄が死去してその子・ラースロー3世が後を継いで即位すると、翌年にはその王位を奪って即位したのである。
即位後はロシア方面へ勢力を拡大すべく、何度も遠征を行なったが、全て失敗に終わった。1217年からの第5次十字軍に参加したときは、ヴェネツィア共和国と対立して支配下にあったザダル ザラ市を奪われたうえ、彼自身の統率のまずさから軍を敗退させるという無様さであったといわれている。しかも、このように連年にわたって戦争を行なった結果、ハンガリーの財政は多大な軍費による出費から大きく逼迫することとなり、エンドレ2世は財政再建のために国民は勿論のこと、貴族層に対しても重税を課すことで解決しようとしたのである。しかし貴族層がエンドレ2世の政策に猛反発した結果、1222年にエンドレ2世は貴族の免税特権や武力抵抗権を認可する金印勅書を発布することを余儀なくされ、かえってハンガリー王権の弱体化と貴族層の権力拡大を招く結果となってしまった。また、エンドレ2世は別の財政再建政策として、ユダヤ教徒の銀行業者を重用するなどしたが、これが原因で1232年にローマ教皇から破門されるという有様であった(以前、兄が教皇の命で異教徒討伐に向かっている最中に対して反乱を起こしていたため、以前から教皇サイドから不信を持たれていた)。
アンドラゴギー
アンドラゴギー(Andragogy)は、もともとはドイツの教育者アレクサンダー・カップが1833年に使用した言葉であるが、アメリカ合衆国の成人教育の理論家マルコム・ノウルズ(Malcom Knowles、1913年4月24日-1997年11月27日)により、成人教育における主要な概念として発展されたものである。ノウルズは、ギリシア語の「成人-教育」を意味する言葉から発想されたアンドラゴギー(Andragogy)を通常の教育学をいうぺタゴギー(Pedagogy
アンドラニク・エスカンダリアン
名前=アンドラニク・エスカンダリアン本名=
愛称=
カタカナ表記=アンドラニク・エスカンダリアン
アルファベット表記=Andranik ESKANDARIAN
原語名=アルメニア語
原語表記=Անդրանիկ Իսքանտարեան
身長=174cm
体重=
血液型=
所属チーム名=
ポジション=ディフェンダー (サッカー) DF
背番号=
利き足=
代表年=1975-1978
代表出場(得点)=29 (0)
代表成績更新日=
監督年=
アンドラジーニャ
アンドラジーニャ(Andradinha)こと(Edi Carlos Dias Marcal エジ・カルロス・ディアス・マルサウ、1974年9月13日 - )は、ブラジル出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。177cm、75kg。SEマツバラ〔ブラジル〕(1993年-1995年)
ミラソルFC〔ブラジル〕(1995年-1996年)
サントスFC〔ブラジル〕(1997年)
アーセナル・トゥーラ〔ロシア〕(1998年-1999年)
ガンバ大阪〔日本〕(2000年)
大分トリニータ〔日本〕(2000年6月)
アルビレックス新潟〔日本〕(2001年7月)
大分トリニータ〔日本〕(2002年-2003年)
コンサドーレ札幌〔日本〕(2003年6月)
ECサント・アンドレ〔ブラジル〕(2004年)
ポルトゲーザ・サンティスタ〔ブラジル〕(2004年)
アンドララヴェラ
『アンドラ・ラ・ヴェリャ』より : アンドラ・ラ・ヴェリャ(”Andorra la Vella”)はアンドラ アンドラ公国の首都である。東のピレネー山脈に位置しており、フランスとスペインの間に位置する。人口は20,437人であり、その内スペイン人が43%、アンドラ人33%、ポルトガル人11%、フランス人7%、その他6%となっている。主な言語は、フランス語、スペイン語である。ほとんどの住民がカトリック教会 カトリックである。主な、産業は観光である。また、タックス・ヘイヴンが施行されているため、外資で潤っている部分もある。また2010年オリンピック開催候補地であったが国があまりにも小さいため誘致に失敗した。アンドラ あんとららうえりや
アンドラ・ラ・ヴェリャ
アンドラ・ラ・ヴェリャ(”Andorra la Vella”)はアンドラ アンドラ公国の首都である。東のピレネー山脈に位置しており、フランスとスペインの間に位置する。人口は20,437人であり、その内スペイン人が43%、アンドラ人33%、ポルトガル人11%、フランス人7%、その他6%となっている。主な言語は、フランス語、スペイン語である。ほとんどの住民がカトリック教会 カトリックである。主な、産業は観光である。また、タックス・ヘイヴンが施行されているため、外資で潤っている部分もある。また2010年オリンピック開催候補地であったが国があまりにも小さいため誘致に失敗した。アンドラ あんとららうえりや
アンドララベラ
『アンドラ・ラ・ヴェリャ』より : アンドラ・ラ・ヴェリャ(”Andorra la Vella”)はアンドラ アンドラ公国の首都である。東のピレネー山脈に位置しており、フランスとスペインの間に位置する。人口は20,437人であり、その内スペイン人が43%、アンドラ人33%、ポルトガル人11%、フランス人7%、その他6%となっている。主な言語は、フランス語、スペイン語である。ほとんどの住民がカトリック教会 カトリックである。主な、産業は観光である。また、タックス・ヘイヴンが施行されているため、外資で潤っている部分もある。また2010年オリンピック開催候補地であったが国があまりにも小さいため誘致に失敗した。アンドラ あんとららうえりや
アンドララベリャ
『アンドラ・ラ・ヴェリャ』より : アンドラ・ラ・ヴェリャ(”Andorra la Vella”)はアンドラ アンドラ公国の首都である。東のピレネー山脈に位置しており、フランスとスペインの間に位置する。人口は20,437人であり、その内スペイン人が43%、アンドラ人33%、ポルトガル人11%、フランス人7%、その他6%となっている。主な言語は、フランス語、スペイン語である。ほとんどの住民がカトリック教会 カトリックである。主な、産業は観光である。また、タックス・ヘイヴンが施行されているため、外資で潤っている部分もある。また2010年オリンピック開催候補地であったが国があまりにも小さいため誘致に失敗した。アンドラ あんとららうえりや
アンドラーシュ3世
アンドラーシュ3世(ハンガリー語:III András, 1235年 - 1301年1月14日 セーケシュフェヘールヴァール)は、ハンガリー王国アールパード朝最後の国王(在位:1290年 - 1301年)。エンドレ3世(III Endre)とも呼ばれる。アンドラーシュ2世 アンドラーシュ(エンドレ)2世の末子、スラヴォニア公イシュトヴァーンの子で、イシュトヴァーン5世の従兄に当たる。イシュトヴァーン5世の子ラースロー4世が若くして暗殺され、子もいなかったため王位に即いた。母カタリーナ・トマシーナはヴェネツィア共和国の名家モロシーニ家の出身で、アンドラーシュ自身も母方で育てられたと言われており、国内諸侯からの支持を集められなかったという。
アンドラーシュ3世は1290年、ポーランドのイノヴロツワフ公ジェモミスウ (イノヴロツワフ公) ジェモミスウ(ヴワディスワフ1世 (ポーランド王) ヴワディスワフ1世の兄)の娘フェネンナ・クヤフスカ フェネンナと結婚した。
アンドラの国旗
用途及び属性=画像:FIAV 110000.svg 30px縦横比=7:10
制定日=1866年
使用色=
アンドラの国旗(アンドラのこっき)は1866年に採用された。旗のデザインは左側から順に青色、黄色、赤色の三色旗である。中心部にアンドラの国章 国章を配置している。国章を除くとルーマニアの国旗 ルーマニア、チャドの国旗 チャドのものとほぼ同一である。しかし実際には、フランスの国旗 フランス国旗の青、スペインの国旗 スペイン国旗の黄、両国共通の赤をとって作ったもの。
国旗の一覧
国旗 あんどら
アンドラ *こつき
垂直三分旗 あんとら
bg:Национално знаме на Андора
ca:Bandera d”Andorra
cs:Andorrská vlajka
アンドラ公国国旗
『アンドラの国旗』より : 用途及び属性=画像:FIAV 110000.svg 30px縦横比=7:10
制定日=1866年
使用色=
アンドラの国旗(アンドラのこっき)は1866年に採用された。旗のデザインは左側から順に青色、黄色、赤色の三色旗である。中心部にアンドラの国章 国章を配置している。国章を除くとルーマニアの国旗 ルーマニア、チャドの国旗 チャドのものとほぼ同一である。しかし実際には、フランスの国旗 フランス国旗の青、スペインの国旗 スペイン国旗の黄、両国共通の赤をとって作ったもの。
国旗の一覧
国旗 あんどら
アンドラ *こつき
垂直三分旗 あんとら
bg:Национално знаме на Андора
ca:Bandera d”Andorra
cs:Andorrská vlajka
アンドラーテ
nomeComune_ja アンドラーテnomeComune Andrate
linkStemma Andrate-Stemma.png
siglaRegione PMN
siglaProvincia TO
latitudineGradi 45
latitudineMinuti 32
latitudineSecondi 0
longitudineGradi 7
longitudineMinuti 52
longitudineSecondi 0
mappaX 35
mappaY 55
altitudine 820
superficie 9
アンドラニク・マルカリャン
アンドラニク・マルカリャン(アルメニア語: , 英語:Andranik Markaryan, 1951年6月12日-)は、アルメニアの政治家で首相。アルメニア共和党所属。1999年10月27日にワスゲン・サルキシャン首相が国会議事堂で暗殺され、アラム・サルキシャンが首相就任。その後2000年5月2日に同氏が罷免され、5月12日よりマルカリャンが首相就任。
アルメニアの政治家 まるかりやん あんとらにく
Andranik Markarjan
Andranik Markaryan
es:Andranik Markaryan
Andranik Margarian
gl:Andranik Markaryan
id:Andranik Markaryan
it:Andranik Markaryan
pl:Andranik Markarian
ru:Маргарян, Андраник
アンドラーシュ
アンドラーシュ(:hu:András András)またはエンドレ(:hu:Endre Endre)はハンガリー語の男性名。アンドラーシュの名の日は11月30日。エンドレの名の日は7月17日。使徒アンデレに由来し、アンドルー(アンドリュー)、アンドレ、アンドレス、アンドレアス、アンドレア、アンドレイ、アンジェイなどに対応する。いずれもエンドレの名でも呼ばれる。
アンドラーシュ1世
アンドラーシュ2世
アンドラーシュ3世
アンドレア・ドゥンゲリア(ハンガリー名アンドラーシュまたはエンドレ) - ハンガリー王ラヨシュ1世の弟でナポリ女王ジョヴァンナ1世・ダンジョ ジョヴァンナ1世の最初の夫。
アンドラーシュ・シフ - ハンガリーのピアニスト。
グローフ・アンドラーシュ - インテルの創業者であるアンドルー・グローヴのハンガリー名。
