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ボスニア・ヘルツェゴビナ 写真

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ボスニア・ヘルツェゴビナ旅行記 1

10冬 サラエヴォ/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ

リポーター:バートン
旅行スタート日:2010/01/17
旅行終了日:2010/01/17

bosnia_and_herzegovina 今年の旅は旧ユーゴを巡る旅から始まりです。 今までちょっと行きにくい国のイメージでしたが 国内情勢も安定し最近では観光客も増え始め、 実際友人の中にも訪れている人も何人もいるので そろそろ行き時かな、と思って。 まずはボスニアのサラエヴォから。

bosnia_and_herzegovina サラエヴォにはお隣の国、 セルビアのベオグラードから夜行バスで入る。 セルビア人側のルカヴィツァ・バス停に 到着したのが朝の5時頃なのであたりはまだ真っ暗。 この辺りは治安が良くないとガイドブックに 書いてあったので、バス停にあるカフェで 明るくなるまで時間を潰す。 しかも手持ちがないので身動きも取れないし。 地元の人に両替をしてもらった人がいたので (wさん経験談) それを期待して取り合えずカプチーノを頼んだ。 そしたら目の前で、コーヒーにスプレー式の クリームをシューっとかけて ココア・パウダーを振りかけたものが出てきた。 これってウインナーコーヒーだと思うんだけど。


bosnia_and_herzegovina ガイドブックを見ていたら後ろから 「イチ・ニ・サン・シ」とつたない日本語が 聞こえてきたので、 あれ~、ボスニアに日本語を話せる人がいるの~、 ちょっと嬉しい! と言うことで席をご一緒させていただいた。 2組のカップルで、その内の男性1人が日本にとても 興味を持っているらしく柔道をやっているとのこと。 卓球もやっているんだ、と自慢げに言うので それはあまり日本には関係ないんだけどー、 とやんわりと否定をしたけど あまり理解してもらえなかったようだ。 中国語を勉強をしているらしく 日本語は今の言葉、中国語は未来の言葉だからと 言っていた。う~ん、確かに。 別れ際に、挨拶代わりに何故か見せてくれた逆立ち。 突拍子もないんだけどちょっとほっこりした気分♪


bosnia_and_herzegovina まったりしていたら今度は男性2人組が話しかけてきた。 この国の人は話しかけるのが好きなんだろうか、 それとも東洋人が珍しい? 両替の事や路線バスの始発時間を質問したり、 これからの予定など話していたら スティング似の男性が車で 連れて行ってくれることになった。 親切なこの男性はサラエヴォの隣町の住人で 家族を空港に送った帰りに たまたまバス停のカフェに立ち寄ったらしい。 不慣れなサラエヴォの街を何度も 人に行き方を聞きながら、 その度に訪ねた人を車に乗せてあげながら 目的地のもう一つのバス停と 旧市街まで連れてってくれた。 旅の始まりからこんな親切を受けるとは。 しかも荒れていると思っていた国で。 美しい朝焼け。 ローズ色に染まるサラエヴォの街。 久々にこんなに素晴らしい朝焼けを見た。


bosnia_and_herzegovina 中央駅横にあるもう一つのバス停で モスタル行きのチケットを買い、 荷物を預けてから 旧市街のラテン橋で下してもらった。 スティング似の男性は 何かを欲しがるでもなく去って行った。 良い旅を、と一言残して。


bosnia_and_herzegovina ここがそのラテン橋。 見かけは普通の橋だけど 1914年6月28日にこの橋の麓にある博物館前で、 当時ボスニアを統治していた オーストリア・ハンガリー帝国の フランツ皇太子夫婦がセルビア人青年に狙撃され、 第一次世界大戦のきっかけとなった場所。


bosnia_and_herzegovina 博物館脇には狙撃現場を示すプレートが。 簡単な説明が英語でもかかれていました。 ここから橋と反対側は バシチャルシァと呼ばれる旧市街。 車で下してもらった辺りもなかなか雰囲気がいいし、 また朝7時位なのでお店もモスクも まだ開いていなさそうなので川向うへちょっと散策へ。


bosnia_and_herzegovina おぉ、なかなか素敵な並木道だ! 朝の散歩には最適♪


bosnia_and_herzegovina 歩いているとどこかで見かけたような街並みだなぁ、 と考えていたらトルコのボスポラス海峡沿いの 街並みを思い出した。 三角屋根に赤茶けた建物に、 背の高い並木道。


bosnia_and_herzegovina そうそう、こんな水飲み場も確かにあったなぁ。


bosnia_and_herzegovina このモスクの形もまさにトルコで見たのと似ている~。 と言うのも当たり前で、 旧ユーゴは中世から19世紀までオスマン帝国 (オスマン・トルコ)に支配されていて その跡がまだ残っているというわけ。


bosnia_and_herzegovina 久々に目にしたモスクなので中に入ろうと思ったら まだ閉まっていた。あ~残念。 鉄扉の隙間から覗いた中庭は タイルがふんだんに使われていてとても綺麗。 門の脇にある説明書きによると 「The Emperor's Mosque with the Isy-Bey Hammam」 と書いてあった。 ほんと立派なモスクだわぁ。


bosnia_and_herzegovina 歩いていたら大きな教会の鐘楼が見えたので 行ってみた。 瀟洒な街並みの中に聳え立つのは 聖アントニー教会。


bosnia_and_herzegovina 詳しいことは分からなかったけど 比較的新しそうな教会でした。 正面の扉脇には聖母マリアとキリストの像。


bosnia_and_herzegovina ちょうどミサの真っ最中。 それでも快く中に入れてもらえました。 去年ローマで感動的なミサを見て以来 かなり好きになってしまったので 偶然だったけどミサを見学できて嬉しい♪ お邪魔をしないように窓格子からパチリ。 司教さまのよく通る声がここまで聞こえ またまた感動的な瞬間を体験。


bosnia_and_herzegovina とある大きなビルの壁に 沢山の金色のプレートがあったので よく見たらどのプレートにも右側の数字が 1992年から1996年の間の物ばかりだった。 おそらく内戦で亡くなった人たちの名前と 生誕・没年で、どうしてここに貼られているのかは 分からないけど銃弾跡だけでなく 内戦の爪痕をここでも見た気がした。 さっきのスティング似をふと思いだす。 彼のような人ばかりだったら、 このプレートはここには無かったのかもしれない。


bosnia_and_herzegovina 川の対岸に戻り旧市街のバシチャルシャへと向かう。 今来た川向、何度見てもイスタンブールみたいです。


bosnia_and_herzegovina ミリャツカ川沿いの国立図書館は 嘗てはオーストリア・ハンガリー帝国時代の市役所で 堂々とした構えの美しい建物です。 内戦の砲撃で被害をこうむりまだ修復中。 入れない代りにフェンスの壁画で目の保養。


bosnia_and_herzegovina 旧市街にある大きな広場は その名もバシチャルシャ広場。 真ん中には水飲み場があり、 普段なら観光客が多く集まる賑やかな広場です。 まだ早朝なので今は鳩のパラダイス。


bosnia_and_herzegovina で、バシチャルシァ広場には沢山のお土産屋や レストランやカフェがあり どの店構えもなかなか可愛いい。 オープン時間が待ち遠しいわ~。


bosnia_and_herzegovina 広場そばには決して大きいとは言えない チャルシイスカ・ジャーミ。 中に入ろうと思ったけど まだ早くて門は閉まったままでした。


bosnia_and_herzegovina まだカプチーノしか飲んでいなかったので 軽く朝食を取ってから旧市街散策を続行。 ご覧の通りまだ旧市街は眠ったままま。 どんな表情を見せてくれるのか楽しみだわ。


bosnia_and_herzegovina と、喜んでいたらまだ両替していないのを思い出した。 今朝のバス停で出会った人やスティングに聞いた話だと ボスニアではユーロが普通に使えるらしく 1ユーロ=1.95KM(コンベルティビルナ・マルカ)で 固定(?)され1ユーロが2KMで通用しているらしい。 どんなに小さな町でも使えるの?と聞いたら 使えるとも言っていた。 そういえばバス停で両替、両替ぇ、と騒いでいた私を それが何か?見たいな顔をしていると思った。 モスタル行きのバスも確かにユーロで買えたしなぁ。 このままユーロを使ってもよかったけど 少しばかりマルカに両替。 だって現地通貨使いたいじゃない、記念だし。


bosnia_and_herzegovina 脇を除くと私好みの裏路地が~♪ この寂れた感がたまりませんっ。


bosnia_and_herzegovina ここはボスニアで一番大きなモスク ガジ・フスレヴ・ベイ・ジャミーヤ。 ガイド・ブックには 9月から3月末まで入れないと書いてあって、 それは何かの間違いだろう、 また地○の迷い方じゃないか? ともかく行ってみよう、と言うことで 来てみたらやっぱり開いていなかった。


bosnia_and_herzegovina もしかしたら時間が早いからかもしれないと思い、 数時間後にまた来たら開いてるじゃないですか♪ で、入ろうと思ったらお祈りの時間の為だったらしく あえなく玉砕。 もっと早い時間に来なきゃ駄目だよー、 と言われたけど開いてなかったじゃん!!! どうも地○の迷い方は正しかったようです。 はぁ~、正面玄関のタイルがとても綺麗ね♪


bosnia_and_herzegovina なんだよぉ、とクサクサしながら モスクを出たら趣のある建物が正面にあったので とりあえず入ってみた。 ここはGazi Husrev Bey Madrassa and Khaniqah という神学校跡らしい。


bosnia_and_herzegovina 中庭もなかなか綺麗なんだけど 何故か本屋になっていて 入口から中庭を囲む部屋まで本でびっしり。 宗教関連の本ばかりかと思ったら 普通の小説らしいものまであり 神学校縁りの物とは関係ない普通の本屋さんでした。 本当ならば入場料を取られるのだろうけど 無料で中を見学出来ラッキー♪


bosnia_and_herzegovina この旧市街には無数のカフェがありました。 カフェ好きの私にとってはこれほど幸せな事はないのだ♪ どれも趣のあるカフェばかりなので 目に付いた角にあるカフェにとりあえず入ってみた。 窓際のソファがなかなかいい感じ♪ マンウォッチングしながらしばしの休憩タイム。


bosnia_and_herzegovina またカプチーノを頼んだ。 まさかまたクリームが乗ってるんじゃないか、と ドキドキしたけれど、 ここのは普通にミルクの泡だった。2.5KM也。 え、2.5KM!? バス停のカプチーノもどきは 2ユーロ(4KM)だったのに!! もしかしたらボラれてた?(汗)


bosnia_and_herzegovina 石造りの印象的な建物はベデステン・バザール。 いつ前を通っても閉まったままでした。 開いていたらイスラム風なバザールを見れたのかな? そう言えば、この街は中に入れない所が 多いんですけど…なんでだろう。


bosnia_and_herzegovina 大きめな敷地に建つのは フェルハディヤ・ジャミーヤです。 ここも古い建物で1561年の建立。 旧市街はそんなに大きいとは思えないけど モスクの数が多いです。 また入れないかも、と思いつつ 敷地の中へ。


bosnia_and_herzegovina あ~、良かった、入れた♪ 小ぶりなモスクはとても温かみのある雰囲気でした。 中では先生と2人の生徒が一生懸命に勉強中。 何を学んでいるんだろう。 モスクは祈りの場だけではないんですね。


bosnia_and_herzegovina フェルハディヤ・ジャミーヤを過ぎると 街並みはいきなりカラフルになり ヨーロッパの街並みに。 同じショッピング街でもベネトンやポリーニなど お馴染みのヨーロッパ・ブランドが立ち並ぶ 繁華街に早変わり。 この変わりようは、 まるで線でも引いているかのようだった。


bosnia_and_herzegovina


bosnia_and_herzegovina ヨーロッパの街並みの中に建つのは カトリック大聖堂。


bosnia_and_herzegovina オレンジにブルーにピンクのビル。 どのビルも好き勝手に色を染めているのに、 建物の形もバラバラなのに、 統一感があるのはなんでだろう。 サラエヴォって不思議な街。。。


bosnia_and_herzegovina そろそろ旧市街のお店も開く頃、 お土産の下見も兼ねもう一度戻ってきた。 人出があると思ったら閑散としていた旧市街。 やっぱり1月の中旬だと 都市でも観光客が少ないんだろうな。


bosnia_and_herzegovina でもって目に付いたのがこの布製バッグ。 エスニック・テイストたっぷりでとっても可愛い♪


bosnia_and_herzegovina ビーズのブレスレットはナザールボンジュー。 怖~いメデューサの目は魔よけの効果大。


bosnia_and_herzegovina トルコ・コーヒーを作るジェズベは 繊細な模様が施された小さな手鍋。 こんなに綺麗な手鍋でたてたなら 甘くてほろ苦いトルコ・コーヒーも極上の味。


bosnia_and_herzegovina モスクの傍には宗教関連のお店。 コーランもアラビア装飾文字で表せば 細密さを極めたイスラムのアート。


bosnia_and_herzegovina 旧市街にはキャラバンサライもあります。 ここはキャラバンサライを利用したレストラン、 モリチャ・ハン。 ガイドブックには朝から開いていると 書いてあったのにまだオープン前でした。 2階に上がってみたらどこも空き部屋のようで あまり活気は感じられませんでした。 使われているのは1階だけみたい。 2階から撮った中庭は、深紅の椅子が印象的。


bosnia_and_herzegovina この街にはモスクや教会だけでなく さまざまな宗教施設が集まっています。 ここはユダヤ教のシナゴーグ。 交通量の多いMula Mustafe Baseskija通りに面する壁に 大きなダビデの星が書かれているのですぐに分かります。


bosnia_and_herzegovina シナゴーグ前には珍しく係りの人がきちんと居て ちゃんと入ることができました(笑) てか、サラエヴォは観光に力を 入れていないんじゃないかしらん? 中はかなりシンプル。 だけど今まで見たことのあるシナゴーグは お世辞にも綺麗で立派なもとは言えなかったけど ここは新しいようで、濃い色の木材と 全体に石が使われててシックな造り。 中はシナゴーグとしての機能だけでなく ボスニアに住むユダヤ人の歴史博物館にも なっていました。


bosnia_and_herzegovina シナゴーグから数分の所にあるのが古いセルビア正教会。 はっきりとした建立年が分からないようで、 正面の説明書きには5世紀とも6世紀とも書いてあった。 旧市街はそんなに大きいとは言えないのに 色々な宗教の密度がなんて濃いいんだろう。


bosnia_and_herzegovina やっぱりここも中には入れず、 扉から覗くしかありませんでした。 隙間から見えた教会内部は おびただしいランプが天井から下がった いかにも○○正教って感じの装飾。 どの扉の上にも壁画があって、 ちょっと草臥れた感のある中世の画風。 あ~、こういう時代を感じさせる教会って好きだなぁ。


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bosnia_and_herzegovina またまたお茶をしてしまった。 それだけこの旧市街には入ってみたくなるような 魅力的なカフェが多いのだ。 この際だからまたカプチーノにしようと思ったけど メニューを見たらボスニア・コーヒーとあったので 頼んでみた。 出てきたものはトルコ・コーヒー。 そう言えばお土産屋にもトルコ・コーヒーを作る手鍋を沢山売ってたからあっても不思議じゃないけど、 ボスニア・コーヒーってここでは言うんだ。 お砂糖を塗したちょっと懐かしい味の フルーツ・ゼリーが付け合わせ。 強くて甘いコーヒーも、 このお菓子と一緒にいただくと心に染みるほろ苦さ。 1.5KM也。


bosnia_and_herzegovina この後モスタル行きのバスに乗る予定だけど まだ時間があるのでヨーロッパの街並の辺りを散策する。 ここは別のセルビア正教会に面した大きな広場。 地元の人が集まってチェスの真っ最中。 大きな駒は何で出来ているんだろう? まさか石?だったら重いだろうなぁ、と 触らせてもらったらプラスチック製だった。 これって普通に売ってるのだろうか。。。


bosnia_and_herzegovina 大きなセルビア正教会は 街の色に合わせるように濃いオレンジ色。


bosnia_and_herzegovina そして外も中も只今修復中。 窓に描かれたステンドグラス、 おびただしい数のイコン、 大きなシャンデリアが印象的な教会でした。


bosnia_and_herzegovina 賑やかな界隈にある、轟々と勢いよく上がる聖火は 第二次世界大戦の犠牲者をともらう永遠の灯 (ヴィエチュナ・ヴァトラ: Vjecna vatra)。 サラエヴォには、まだ記憶に新しい 内戦の傷跡もそのまま残っていて こうして人目にさらすことによって メッセージを残しているようだった。 悲惨な争いを忘れないように、 二度と起こらないようにと。


bosnia_and_herzegovina そろそろバスの時間がせまってきたのでトラムに乗ろうとしたら乗りたいトラムがなかなか来ない。 凄く焦ってしまいタクろうとしたら 「近いからトラムに乗って行きなよ~」と、 あえなく乗車拒否にあってしまった(涙) だから急いでいるんだってっ、と 時計を指して、大げさなボディーランゲージして 3台目でやっと乗せてもらった。 もう、いけず~。


bosnia_and_herzegovina て、焦ってても写真を撮ることだけは忘れない(笑) ここは内戦中、動くものはことごとく標的にされた スナイパー通り。


bosnia_and_herzegovina スナイパー通りのほぼ真ん中には 戦時中ジャーナリストのたまり場であった ホリデー・イン。


bosnia_and_herzegovina 10分もかからずに到着。 タクシーの運ちゃんが言ってた通り ほんとに近かった。 これからモスタルへ移動です、が。




ボスニア・ヘルツェゴビナ旅行記 2

10冬 夜のモスタル/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ

リポーター:バートン
旅行スタート日:2010/01/17
旅行終了日:2010/01/17

ボスニア・ヘルツェゴビナ
bosnia_and_herzegovina 今回の旅は忙しい旅で、夜行バスを駆使して 1日に2ヶ所を回ると言う私にしてはあり得ないものでした。 旧ユーゴはバス路線が発達していて移動にはとても便利。 でも、各バス会社や街のHPで事前に時刻や 乗りたい路線があるか下調べをしたものの、 どこまで正確か本当にあるのか確信をもてないまま。 大きい街どおしに頻繁にバスがあるのは 想像がついたけど、一番ネックだったのが モルタス→モンテネグロのコトルのあまり人気のない路線で、 1日に何本あるか何時頃かがどこを調べてもバラバラだったので 最後まで謎でした。 でも、どのHPでも昼前後のバスはあったので、 これなら大丈夫かもしれないな~、と 午前中にモスタルの観光をするつもりでいました。 サラエヴォからモスタルに到着したのは夕方の5時過ぎ。 バス停でコトルまたはモンテネグロの大きなリゾート地、 ヘルツェグ・ノビまでの時刻を確認したら、 「朝の7:00よ。1日に1本ね。」 がーん、どおする!! 昼間の様子はこちらで sunnyさんの旅行記 http://4travel.jp/traveler/sunnyy/album/10335871/ wakabunさんの旅行記 http://4travel.jp/traveler/wakabun/album/10312412/

bosnia_and_herzegovina レセプションのお姉さんにもう一度確認してもらったら やっぱり朝の7:00の1本のみ(涙) 今回は到着が遅くなることもあったので ホテルは日本から予約をいれてしまっていた私。 なので予定を変更することもできないので 部屋に荷物を置いてさっそくモスタルの街へ繰り出した。 あ~、嫌な予感が当たってしまった。


bosnia_and_herzegovina モスタルはネレトヴァ川にかかる スターリ・モストと言う古い橋を中心に 発展してきたオスマン朝の色濃く残る古い街。 久々にイスラムの雰囲気を味わえると とても楽しみにしていました。 なのにこんな事になってしうなんて。。。


bosnia_and_herzegovina スターリ・モストまでやってきた。 橋は暗過ぎて綺麗に撮ることが出来なかったけど なんとか橋から見える風景だけは成功。 橋のたもとにあるのは要塞のように聳え立つ 嘗て火薬庫として使われたタラの塔。


bosnia_and_herzegovina ネレトヴァ川沿いには1618年建立の ユスキ・メフメット・パシナ・ジャミーヤ。 光の中に浮かび上がるように見え なんとも幻想的。


bosnia_and_herzegovina ちょっと離れた場所からスターリ・モストを。 内戦時に爆破破壊されたので これは2004年に完成した橋。 オリジナルの橋の建設技術には 高い物があったらしい。 う~ん、なんて美しいアーチなんだろう。


bosnia_and_herzegovina 橋の袂には、93年に破壊された時の記念碑が。


bosnia_and_herzegovina 背の低い建物が続く街並み。 オフシーズンだから歩く人も少ない 静かなモスタルの夜。


bosnia_and_herzegovina モスタルの夜は光が主役。 古い街並みを様々な色に映し出している。 光るモスタル、輝くモスタル。


bosnia_and_herzegovina 凍える寒さの中、 暖かな光がレストランから漏れてくる。 かちゃかちゃと響く食器の音、 楽しそうな笑い声。 そして私も朝から何も食べていないのを思い出す。


bosnia_and_herzegovina 雨が上がった後はキラキラ光る濡れた石畳。


bosnia_and_herzegovina 目星を付けていたレストランに向かった。 大きな庭に結構立派な建物だったのと 席もかなり埋まっていたので ここは良いかもしれない、と。 中に入ったらあやしい人形が数体。 これは失敗したかも、と後ずさりしたけど とりあえず入ってみた。 なんせお客が入っているのはポイントが高いのだ。 しかし、今時このマネキンはあり得ない。。。


bosnia_and_herzegovina 店内は至って普通(笑) いやそれ以上のシックな内装で お高いかもしれない、と またまた心配になってくる程でした。 ボーイも「ポナペティ」って言いそうな スノッブな雰囲気だし。


bosnia_and_herzegovina 頼んだ料理はSogan Dolmaと言う郷土料理で オニオンにひき肉とライスを詰め込んだ料理。 コンソメ風スープに出汁が良く出ていて めちゃめちゃ美味しかった♪ お値段は意外と安くて4.5ユーロ也。 もちろん完食~♪ Sadrvan(シャドルバーン) 住所:Jusovlna 10 TEL :(036)579057 KM(コンベルティビルナ・マルカ)でも ユーロでも支払可。 でも、ユーロで支払いしたらお釣りはKMでした。


bosnia_and_herzegovina 今宵のお酒は何だろう。 寒い夜だから強い蒸留酒で体を温めるのも モスタルの長い夜の過ごし方。


bosnia_and_herzegovina レストランだけでなく ナイト・クラブも沢山あるモスタル。 古都に合わせて静かな音楽と ささやき声がこだまする夜。


bosnia_and_herzegovina モスタルの街はネレトヴァ川と合流する 細い川がいくつか流れています。


bosnia_and_herzegovina 街中を散策していると、 どこにいても水の流れる音が聞こえ 夜であっても風情が感じられます。 川沿いにはレストランも多く 日中であればテラスで川を眺めながら お食事するのも素敵だろうな。


bosnia_and_herzegovina 建物の下を流れていく水にも ライトアップされてて拘っているなぁ。 ちょっと信号みたいだけど^^ モスクの多いこの街で楽しみにしていたアザーンを 聞く事ができました。 半分は水の音にかき消されてたけど それでも久々のアザーンが聞けて幸せ。


bosnia_and_herzegovina また別の古い橋Crooked Bridge。 石畳の道がそのまま橋まで続いてた。 あまり街を歩けなかったけど 他にも古い橋がありそう。


bosnia_and_herzegovina かなり残念だけど、 そんな事を言ってても何も始まらないのだ。 だから観光、観光ーーー! 旧市街の入口にあった小ぶりなモスク。 ライトアップされたモスクの周りでは モスタルの若い女の子達が話に花を咲かせてる。


bosnia_and_herzegovina 時々聞こえてくる軽い笑い声がとても心地いい。 モスクの扉はモザイクで彩られてはいなかったけど 美しいカリグラフィーに心を奪われてしまった。


bosnia_and_herzegovina 夜しか見れなかったの、とSさんに言ったら モスタルは夜が素敵なんだよ、って。 うん、夜のモスタルはほんとうに魅力的だった。


ボスニア・ヘルツェゴビナ 写真2

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ボスニア・ヘルツェゴビナ 情報

ボスニア・ヘルツェゴビナ

略名 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
日本語国名 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
公式国名 Bosna i Hercegovina (ボスニア語、クロアチア語)
Босна и Херцеговина (セルビア語)
国旗画像 Flag of Bosnia and Herzegovina.svg
国章画像 Image:Bosnia and Herzegovina Coats of Arms.svg 100px ボスニア・ヘルツェゴヴィナの国章
国章リンク (ボスニア・ヘルツェゴヴィナの国章 国章)
標語 なし
位置画像 LocationBosniaAndHerzegovina.png
公用語 ボスニア語、セルビア語、クロアチア語
首都 サライェヴォ
最大都市 サライェヴォ
宗教     =イスラム教、セルビア正教、カトリック
元首等肩書 ボスニア・ヘルツェヴィビナの大統領評議会 大統領評議会議長

ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦

+ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦Federacija Bosne i HercegovineФедерација Босне и Херцеговине
ボスニア語、クロアチア語、セルビア語
サラエボ
面積ndash; 総計
26,110 kmsup2;
2,318,97288/kmsup2;
民族(2002年)
ボシュニャク人: 72.9%クロアチア人: 21.8%セルビア人: 4.4%その他: 1.0%
大統領
ニコ・ロザンチチ Niko Lozani
アフメト・ハジパシッチ Ahmet Hadžipašić
時間帯
兌換マルク (KM)
ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦(ボスニア・ヘルツェゴビナれんぽう)は、連邦国家であるボスニア・ヘルツェゴビナの構成体の1つ。ボスニア・ヘルツェゴビナの主要3民族のうち、ボシュニャク人とクロアチア人を主体とする共和国で、独自の大統領、政府、議会 立法府を持つ。ボスニア・ヘルツェゴビナの全面積の51%を占める。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争( - ふんそう)は、旧ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナで1992年から1995年まで続いた内戦。
ユーゴ解体の動きの中でボスニア・ヘルツェゴビナは1992年に独立を宣言したが、独立時に約430万人の人口のうち、民族構成の33%を占めるセルビア人と、17%のクロアチア人・44%のボシュニャク人(ムスリム人)が対立し、セルビア人側が分離を目指して、4月から3年半以上にわたり戦争となった。両者は全土で覇権を争って戦闘を繰り広げた結果、死者20万、難民・避難民200万が発生したと言われ、第二次世界大戦後の欧州で最悪の紛争となった。これは日本の教科書でこの紛争の一部を掲載したほどである。

ボスニア・ヘルツェゴビナ上級代表

ボスニア・ヘルツェゴビナ上級代表(ボスニア・ヘルツェゴビナじょうきゅうだいひょう、英語:High Representative for Bosnia and Herzegovina)は、1995年12月のデイトン合意に基づき和平遂行を民生面で担当するため上級代表事務所(Office of the High Representative、OHR)に設置された。ボスニア・ヘルツェゴビナ上級代表とOHRは、国際連合を通して国際社会を代表する。また、上級代表は、欧州連合(EU)の特別代表でもある。
これまで、6人の上級代表が就任した。全員がEU加盟国の出身である。:
カール・ビルト (在任期間 1995年-1997年、スウェーデン)
カルロス・ウェステンドルプ(:en:Carlos Westendorp Carlos Westendorp、1997年-1999年、スペイン)
ヴォルフガング・ペトリシュ(:en:Wolfgang Petritsch Wolfgang Petritsch、1999年-2002年、オーストリア)

ボスニア・ヘルツェゴビナの大統領評議会

Presidency of Bosnia and Herzegovina
ボスニア・ヘルツェゴビナ大統領評議会は、ボスニア・ヘルツェゴビナの国家機関の1つ。ボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人の各民族から4年ごとに1名ずつの代表を出し、計3名で構成。3名は8ヶ月ごとに輪番制で大統領評議会議長(国家元首)に就任する。ボスニア人代表・クロアチア人代表はボスニア・ヘルツェゴビナ連邦から、セルビア人代表はスルプスカ共和国から選出される。
日本語ではしばしば幹部会という表記が見られる。
ボスニア語ではPredsjednitvo Bosne i Hercegovine.
英語ではPresidency of Bosnia and Herzegovina.
1995年の新憲法第5章で大統領評議会の設置が明記され、1996年に初の評議員選挙を実施。1998年からは議長の輪番就任制が導入された。ちなみに1995年以前は、単独の「大統領」職が元首の役割を果たした。

ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗

用途及び属性=画像:FIAV 111000.svg 30px
縦横比=1:2
制定日=1998年2月4日
使用色=
ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗は、紺色の地に黄色の三角形、およびその斜辺に沿って8つの星を配置した国旗。配列された8個の星のうち1個は上下二つに分かれ、上下の端に配置されている。
1998年の長野オリンピックに間に合わせる形で制定された。現在ヨーロッパの国で星を国旗の意匠に用いているのはボスニア・ヘルツェゴビナのみで、これは当初から欧州連合の旗 EU旗を模してデザインされたためである。
旧国旗も新国旗も縦横比は1:2で、これは旧ユーゴスラビアから独立した国では共通である。ただし最終的な継承国家であるセルビアと、ボスニア・ヘルツェゴビナを構成するスルプスカ共和国・ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦は例外である。

ボスニア・ヘルツェゴビナの政党一覧

ボスニア・ヘルツェゴビナの政党一覧では、ボスニア・ヘルツェゴビナで活動する政党について述べる。
ボスニア・ヘルツェゴビナでは、複数政党制が機能しており、国民を構成するボシュニャク人、セルビア人、クロアチア人の主要3民族の代表、および多民族にまたがる政党の4勢力が存在している。1つの政党が単独政権を樹立することはあまりなく、連立政権が主流である。
民主行動党_(ボスニア・ヘルツェゴビナ) 民主行動党
ボスニア・ヘルツェゴビナ愛国党
民主人民共同体
セルビア民主党_(ボスニア・ヘルツェゴビナ) セルビア民主党
独立社会民主党
民主進歩党_(ボスニア・ヘルツェゴビナ) 民主進歩党

ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の国旗

用途及び属性=
縦横比=3:5?
制定日=1996年11月5日
使用色=
ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の国旗は、白地の左側に赤、右側に緑、中心部にボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の国章 国章を配置した国旗。左側の赤と国章右上の赤白のチェック(シャホヴニツァ)がクロアチア人、右側の緑と国章左上のユリの花がボシュニャク人のシンボルである。
国内でセルビア人が少数派のためこの国旗・国章の意匠にはセルビア人のシンボルが存在しない。逆にセルビア人が多数を占めるスルプスカ共和国のセルビアの国旗 国旗・国章には、セルビア人以外のシンボルが存在しない。このため両国の国旗・国章は2006年3月31日以降6ヶ月以内に改められる予定。

ボスニア・ヘルツェゴビナ併合

ボスニア・ヘルツェゴビナ併合とは、1908年10月6日、青年トルコ人革命の混乱に乗じたオーストリア・ハンガリー帝国 オーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナを併合宣言した事件を言う。スラヴ人 スラヴ系住民が多く、セルビア王国_(近代) セルビアが併合を熱望していたため、この事件によりパン=ゲルマン主義と汎スラヴ主義 パン・スラヴ主義の対立が激化した。前宗主国オスマン帝国は、事前に承諾し、併合自体は平和裏に行われたと言う。
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オーストリアの歴史 ほすにあへるつえこひなへいこう
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ボスニア・ヘルツェゴビナ関係記事の一覧

ボスニア・ヘルツェゴビナ関係記事の一覧(ボスニア・ヘルツェゴビナかんけいきじのいちらん)
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