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チェコ 地図
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チェコ旅行記 1
ひとり旅!あこがれのチェコ
リポーター:クルテク旅行スタート日:2010/02/22
旅行終了日:2010/03/02
2010年2月22日~3月2日まで、チェコをひとりで旅行した際の旅行記です。
ほぼプラハで過ごしました。
地球の歩き方と指差し会話帳、メモを書きつけるためのモレスキン・プラハシティノートとデジカメを常に持ち歩いてました。
海外旅行は去年の12月にツアーで行った台湾が初めて、そして2回目の海外旅行がチェコに一人旅というぶっとび様です。
少しの英語とあいさつ程度のチェコ語とパッションで乗り切りました。
行く前は不安だったけどなんとかなるもんですね。
大韓航空で中部国際空港(セントレア)からソウル、ソウルからプラハまで出発です。
プラハには時差の関係でその日の夜に着きました。でっかいスーツケース引きながら市バスとメトロでホテルまで移動。
翌朝、ホテルの部屋から見下ろしたプラハの街並み。
本当にプラハにいるー!
ホテルの部屋はこんなかんじでした。
最上階のでっかい部屋!オフシーズンばんざーい。
地下鉄フローレンツ駅近くの「HOTEL MUCHA」。
さっそく荷物が散らかっています…
ホテルからプラハ城まで歩いていったりもしました。
ゆっくり歩いて40分くらい…かな…
疲れたくなければやっぱトラムがいいですね…
うおープラハ城が見えるよー!もう気持ちは超ハイテンションです。
まだ朝早かったので静かなカレル橋。3分の1ほどが工事中でした…
プラハ城の聖ヴィート大聖堂です。
でっかい!すごい建築…
この旅行中時間ができては通いました。ここは入るのタダだし~。
でも塔には登れず…メンテナンス中っていう張り紙が。
中はこんな感じです。外よりひんやり。
ちゃんと帽子は取って入りました。教会だもの。
この天井!壮大、荘厳です。
息をのむ美しさ、ミュシャ(ムハ)のステンドグラス。
せっかくだし250コルナのプラハ城のBチケットを買って中のほうも見ました。
黄金小路、カフカの仕事場として使われてたところ。
プラハ城の観光地チケットは群を抜く値段の高さ…
プラハ城正午の衛兵交代式も見れました。
管楽器が鳴り響きます。
ぷらぷら歩いているとふいにこんなものを発見。
まねき猫だー。
ストラホフ修道院の図書館も行きました。
地球の歩き方に載ってる入館料より値上がりしてるし!
しかも部屋がひとつ工事中~…
ヴィシェフラトにも行きました。
地下鉄駅からちょっと歩きます。
歩いてるとき、チェコの街並みにミニクーパーが似合うなぁと思って撮った一枚。
火曜日だったから、聖ペテロ・パウロ教会には入れませんでした。
スメタナのお墓です。
教会の横にある墓地に眠っています。
人がいなかった~…
火薬塔です。
ふいにどーん!と登場する。
ドヴォジャーク博物館。
日本語の説明書を貸してくれます。
2階にいる猫が人懐こくてかわいかったー
郵便博物館。
チェコやヨーロッパの古い切手や最近の切手、ハガキが展示してあります。私にとってはたまらん場所…
2階にいたおじいさんと指差し会話帳で会話した、いい思い出の場所です。
ブルタバ川(ドイツ名モルダウ)沿いにあるスメタナ博物館の前にあるスメタナ像。
館内でブルタバの流れを見てるときにちょうどBGMで「ブルタバ」が流れて、涙が出てきました。
別の日にはチェスキークルムロフまで日帰りで行きました。バスは「STUDENT AGENCY」を日本で予約していき、プリントアウトした紙をお姉さんに見せてOK。
バスターミナルはホテル近くのフローレンツバスターミナルではなく、アンデェル駅のナ・クニーゼツィーバスターミナルからでした。
朝6時半にホテルを出発。
7時のバスに乗ります。
バスは皮張りのシートで、ドリンクのサービスがあります。
冬だからどうかなと思いましたがバスは満員。
予約しといてよかったー。
途中、ピーセクという町とチェスケー・ブディェヨヴィツェ、終点のひとつ手前でチェスキー・クルムロフ・シュピチャーク、そしてチェスキー・クルムロフ・バスターミナルに到着します。
シュピチャークで降りてもチェスキー・クルムロフが回れます。どちらで降りてもそんなに変わりません。
チェスキー・クルムロフです。
小雨が降っててものすごく寒かった…
冬季はお城に入れませんー。
でも通路は通れます。
静かー…
ときどき日本人のツアー客がやってきます。
クルチマ・バルバカーンで食事。
チェスキー・クルムロフの地ビール、エッゲンベルグじゃなくて一番安かったガンブリヌスを頼んだ私…
日本ではほとんどビール飲まないけどチェコでは毎日飲んでました。
プラハのマラー・ストラナ地区のレストラン「3+3+3」にて。
ひとりでも「Dobry den~」って入っていけば普通に食べられました。
ビールはピルスナー・ウルケルと、チェコ料理のヴェプショクネドロゼロ。
今回は使わなかったけど、鉄道駅のプラハ本駅にも行きました。
でかい駅だった!
次は鉄道でどっか行きたいなぁ。
自分へのおみやげに切手をいくつか。
郵便博物館やアンティークショップで買ったものです。
「toto,prosim」これください、とかで買えます。
日本の昔の切手なんかも売ってて思わず買ってしまった…
お世話になりました大韓航空。
機内食のビビンバが美味しかったです。
コチュジャンのかけすぎに注意…
今回、名古屋→ソウル、ソウル→プラハ、プラハ→ソウル、ソウル→名古屋と4回飛行機に乗りましたが全部翼の上…
プラハのメトロのエスカレーターは高速です。急勾配です。手すりとのスピードが違います。(同じところもある)
初日と最終日、スーツケースと移動するときは命がけでした。
土曜日にはペトシーン公園の展望台に登ろうと決めるも、またもや入場料が値上がりしてる!!
気が抜けたのでプラハ城まで歩くか…
アイスバーン状態のペトシーン公園の道。
陽気な観光客が「YEAH~!!」とかいいながらすべっていきました…
チェコ旅行記 2
【ヨーロッパ一人旅②】世界遺産の街プラハ①
リポーター:yoko旅行スタート日:2010/02/19
旅行終了日:2010/02/22
チェコ
ヨーロッパ一人旅といえども、全て一人だと心細い。
なので、今回の旅は、ドイツに住む学生時代のバイトの
友人を訪ねることが一つの目的でもありました。
でも、北ドイツは見所が少ない・・・。
というわけで、話し合いの結果プラハで待ち合わせすることに。
プラハには直通便がないので、どこかでトランジェット、なら
ヘルシンキというわけで、ヘルシンキ入りをしていました。
プラハは、本当に美しい街並みで、青空が見えてからは
本当に素晴らしかったです。
そうして、ビールが美味しすぎた!!!!
ビールが好きで本当によかったと思えたプラハ滞在でした。
●2月19日⇒ヘルシンキからプラハに移動
●2月20日⇒1日観光 王の道に沿って、プラハ城を目指す
表紙の写真は、プラハ城の教会にて。
夕日がステンドグラスに当たり、その光は壁に映りだすその七色がものすごくきれいで、吸い込まれそうになりました。
初めてのチェコ航空は、フィンエアーとのコードシェア便でした。一人で乗り込む日本人は多分私だけだったと思います。
チェコとヘルシンキの時差は1時間。また時間を飛び越えます。
機内食はサンドイッチ。結構ボリュームがあって美味しかった。食べきれず、プラハについてからのご飯になりました。
安全のしおりですが、まったく説明の言葉が無い上に、おどろおどろしい(笑)何か蛭子さん的な絵の感じに妙に笑えた。
プラハに着いたのは予定時刻の1時間遅れで到着。
ここで、私は荷物が出てこないこと、チェコのお金に両替することに懸命で、乗り合いのミニバスに乗ることができずタクシーを選択しました。
630コルナくらいでしたね。時間が遅れたときなどは、考えず荷物も多いし、お金をかけるほうが精神衛生上良いと思います。友だちはあまりの遅れように焦ったらしいです。
無事ホテルで再会し、部屋でワインを飲むのでした。
観光は全然予定をすり合わせていなかったので、1日目は「王の道」をなぞって歩くことに。
9番トラムに乗って、旧市街地を目指します。
まずは火薬塔から。登るなら、旧市庁舎のほうが高くて見晴らしがいいと思うのでオススメデス。
火薬塔の印象はやはり黒いという感じ。よく見ると細かい彫刻はすごくきれいです。
ヤン・フス像
旧市街広場の端に位置する、チェコの誇りです。
色合いがすごくかわいい。
テルチとかはもっとかわいいのかなぁ。時間があったら行ってみたかったです。
ティーン教会
最後まで入り方がわからず、ぐるぐるして終わってしまいました。どうやったらはいれたのだろうか。
聖ミクラーシュ教会
ココでは翌日の21日(日)にノルウェーからの楽団のミニコンサートを見ました。無料(心づけの募金は必要)で見ることができたので気軽でした。
旧市庁舎に登ります。ここからの眺めは素晴らしいです!遠くラハ城まで見渡せます。晴れていたらもっときれいだったと思います。
しかし、地球の歩き方では70コルナでしたが、実際は100コルナでした。結構値段は変わっていますね。
遠くにプラハ城が見えます。
ここですが、高所恐怖症の人には結構怖い建物だと思います。さほど怖さを感じない私でも、ゾクゾクしました。怖かった・・・。
旧市庁舎の見所は、定時に動き出す天文時計。
天文時計を見るのに、定時近くには人がごった返します。
定時になると仕掛けの人形が飛び出てきます。歓声が上がります。
これが一通り終わったあと、塔の上にいる人がトランペットを吹くのですが、あの仕事うらやましい!みんなに手を振ってもらって誰もが感謝の笑顔を向けるわけなので。
そういう仕事ステキだなー。
ここからカレル通りを抜けて、カレル橋へ。
残念な事ながら、プラハ城に向かう左側が工事中で見ることができませんでした(涙)
有名な触ったら幸運がくる!という犬さんとかは触れました。(写真は友だちからもらったらアップします)
カレル橋を渡る辺りから少しずつ晴れてきました。みなもがきれいですね。
橋の守っている人とパチリ★
本当に城を守っている人とかって一歩も動かずで、いつも尊敬してしまいます。何を考えているのかキニナル。
花屋さんと建物の対比がステキと思って撮ったら、恋人たちが更にステキでした。
恋人と一緒がうれしい街だと思います。
思わず、夜の美しい街を見て一人で涙ぐんだのでした。
旅行は傷心には優しいけど辛かったりもします。
聖ミクラーシュ教会は、小地区にある目立たない教会ですが、中の内装がものすごくきれいです。
中は自由に撮れるのですが、やはり上手に撮影できていません。でも、撮影よりも、見たほうが圧巻です。天上の三位一体の祝典の絵が素晴らしい。意味を解してみると更によいです。
キリストの誕生から再生までの、絵画もあります。
70コルナで、入場の証としてハガキがもらえます。
マラーストラナ広場
青空がきれいです。
ここから本当にきれいに晴れてきました。
長い階段を登って、プラハ城を目指します。
ちなみに王の道は火薬塔から、プラハ城まで2キロちょっとあるみたいです。あまり遠くは感じませんでしたが。
歩くのがしんどい人は、プラハ城近くに泊まるトラム22番の利用をオススメします。
プラハ城に到着。
ここで、中に入るには、AチケットとBチケットが必要になります。スタンダードはBチケットでよいらしいです。
私たちがついたのは、3時くらいで、閉まるまであと1時間くらい。
なので、Bチケットでいいやーと思って買おうとしたら、
「あんたたち、今買ったところで対した見られないし、メインの教会はタダだし、黄金小道は4時過ぎたらタダになるんだから、買わないほうがいいわよ!」
とチケット売りの人に言われました(笑)正直だー。
というわけで買わなかったので、実際に入れたのは教会のみだったのですが、満足しましたよ。
というわけで、プラハ城のシンボル聖ヴィート大聖堂に入ります。
中は本当に、天上が高くて美しいアーチが続きます。左端にちらりと写る、ステンドグラスの反射の色が本当に美しくって見とれたのでした。
ステンドグラスも撮影したのですが、上手に映すのは難しかったです。
とにかく晴れた日でよかったと思いました。
写真よりも実物は本当にきれいです。
外からの眺め
晴れて本当に良かった
作りが見れば見るほど、細かい
大聖堂の水はけはなんと、像になっていて、口から水を吐き出す気持ち悪い仕掛けになっていました(笑)
写真は、カエルとザリガニ。ザリガニのお腹が気持ち悪いの・・・
その他人もたくさん居て、下をだしていかにも気持ち悪く吐いている感じが本当に気持ち悪かった。
聖イジー教会
建物の色の感じが可愛いです。
でも、チケット無いので入れず。
黄金小路は、Aチケット・Bチケットにも含まれています。4時までは改札の人がチケットを見ますが、4時以降は自由改札になります(笑)
基本お土産を売っているので、通ってもらうほうが売り上げにはいいのでしょう。
静かさを想像していたカフカの家もごったがえして静けさは全然ありませんでした。
再び、旧市街地に戻ります。
次は夜の部より、プラハ②に続きます。
昼食のプラハ城の近くのお店にて。大きな時計とパチリ★
塔の上から撮影をする。
よく見ると本当に落書きが多いんですね。
悲しくなる。
ここ、本当に足がすくみます。高所恐怖症の人は注意ね。
カレル橋の幸運を呼ぶという人に触ってご満悦。
人気なので、ダッシュで触りに行くです。
ご利益をもっとわかって触ればよかったかな。
橋を渡る人々。
人が少ないときに橋はじっくり見たかったな。
絵描きさんがすごく多くって、面白かったです。
チェコ 写真2
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チェコ
略名 チェコ日本語国名 チェコ共和国
国旗画像 Flag of the Czech Republic.svg
国章画像 ファイル:Coat of arms of the Czech Republic.svg 100px チェコの国章
国章リンク (チェコの国章 拡大)
位置画像 EU-Czechia.svg
公用語 チェコ語
首都 プラハ
最大都市 プラハ
元首等肩書 チェコの大統領 大統領
元首等氏名 ヴァーツラフ・クラウス
首相等肩書 チェコの首相 首相
首相等氏名 ヤン・フィシェル
面積順位 114
面積大きさ 1 E10
面積値 78,866
水面積率 2.0%
人口統計年 2008
チェコの音楽
チェコ国家が形成された地域は中欧に位置している。その歴史を概観すると、政治的には東ローマ帝国、神聖ローマ帝国、ハンガリー、オスマン帝国、ポーランドといった大国が鎬を削り、民族的にはゲルマン人 ゲルマン系集団、スラヴ人 スラヴ系集団、マジャル人に代表される東方由来の遊牧民などが興亡を繰り広げ、宗教的には東方正教会、カトリック教会 カトリック、フス派 フス教徒を含むプロテスタントといったキリスト教諸会派が勢力を争った複雑な経過をたどっている。
このため、その音楽にも多様性が生まれ、アントニン・ドヴォルザーク、レオシュ・ヤナーチェクといったユニークな作曲家を生んだ。本稿では、こうしたチェコの音楽(−おんがく)について概説する。
チェコ人の一覧
チェコ人の一覧(チェコじんのいちらん)は、世界的に知られている、有史以来から現代まで現在のチェコ出身の人物、チェコ系の人物、チェコ人のリスト。前者には、ズデーテン・ドイツ人を初めとしたドイツ人(オーストリア人)、様々なユダヤ系住民(チェコ語を話す住民、ドイツ系・ドイツ語を話す住民(たとえばチェコ語の姓を持ちチェコ語を話す伝統的コミュニティーの出であったが、ドイツ文化に同化していたフランツ・カフカの一族など))、その他全てが含まれている
: 分野別のチェコ人の一覧も参照。
ジョイ・アダムソン(フリーデリーケ・ヴィクトーリア・ゲスナー) - 博物学者。「野生のエルザ」の著者
チェコ人一覧
『チェコ人の一覧』より : チェコ人の一覧(チェコじんのいちらん)は、世界的に知られている、有史以来から現代まで現在のチェコ出身の人物、チェコ系の人物、チェコ人のリスト。前者には、ズデーテン・ドイツ人を初めとしたドイツ人(オーストリア人)、様々なユダヤ系住民(チェコ語を話す住民、ドイツ系・ドイツ語を話す住民(たとえばチェコ語の姓を持ちチェコ語を話す伝統的コミュニティーの出であったが、ドイツ文化に同化していたフランツ・カフカの一族など))、その他全てが含まれている
: 分野別のチェコ人の一覧も参照。
ジョイ・アダムソン(フリーデリーケ・ヴィクトーリア・ゲスナー) - 博物学者。「野生のエルザ」の著者
チェコスロヴァキア事件
『プラハの春』より : プラハの春(Pražské jaro)1968年にチェコスロヴァキアで起こった改革運動。ワルシャワ条約機構軍の侵入のみを取り上げた場合はチェコ事件という。本項で詳述。
プラハで毎年行われる音楽祭。プラハの春 (音楽祭)を参照のこと。
春江一也の小説。プラハの春 (文学)を参照。
プラハの春(Pražské jaro)は、1968年に起こったチェコスロヴァキアの改革運動。
1956年のスターリン批判の衝撃が、ポーランドやハンガリーのように共産党体制の危機を引き起こすほどではなかったチェコスロヴァキアにおいても、1960年代に入ると、アントニーン・ノヴォトニー(党第一書記兼大統領)の統治体制は揺らぎ始めた。とくに、1950年代に猛威を振るった粛清裁判犠牲者の名誉回復問題、経済成長の鈍化に象徴される計画経済の行き詰まり、スロヴァキアの自治要求などをめぐって、ノヴォトニーに対する批判が高まっていった。
チェコ事件
『プラハの春』より : プラハの春(Pražské jaro)1968年にチェコスロヴァキアで起こった改革運動。ワルシャワ条約機構軍の侵入のみを取り上げた場合はチェコ事件という。本項で詳述。
プラハで毎年行われる音楽祭。プラハの春 (音楽祭)を参照のこと。
春江一也の小説。プラハの春 (文学)を参照。
プラハの春(Pražské jaro)は、1968年に起こったチェコスロヴァキアの改革運動。
1956年のスターリン批判の衝撃が、ポーランドやハンガリーのように共産党体制の危機を引き起こすほどではなかったチェコスロヴァキアにおいても、1960年代に入ると、アントニーン・ノヴォトニー(党第一書記兼大統領)の統治体制は揺らぎ始めた。とくに、1950年代に猛威を振るった粛清裁判犠牲者の名誉回復問題、経済成長の鈍化に象徴される計画経済の行き詰まり、スロヴァキアの自治要求などをめぐって、ノヴォトニーに対する批判が高まっていった。
チェコ共和国
『チェコ』より : チェコ共和国(-きょうわこく)、通称チェコは、ヨーロッパ中部の国。政治的には東ヨーロッパ 東欧に分類されてきたが、ヨーロッパ共産圏の消滅後は、中欧または中東欧に分類されるようになった。北はポーランド、東はスロバキア、南はオーストリア、西はドイツと国境を接する内陸国。首都は、プラハ。1993年にチェコスロヴァキアがチェコとスロバキアに分離し成立した。歴史的背景から、宗教に対する不信感が強い。2002年8月、記録的な豪雨によってヴルタヴァ川が氾濫し、プラハをはじめ多くの都市が被害にあった。2004年5月1日には、欧州連合に加盟した。
略名 チェコ
日本語国名 チェコ共和国
チェコスロバキア共産党
第一次世界大戦後の1918年に独立したチェコスロバキア共和国では、工業地帯である西部のボヘミアなどで社会主義運動が盛んだった。1921年5月16日、チェコスロバキア社会民主党から左派グループが離脱して、チェコスロバキア共産党が成立した。第一次大戦後の独立国としては珍しく議会制民主主義が安定していたチェコスロバキアでは、共産党は野党として議会に参加し、トマーシュ・マサリク大統領やエドヴァルド・ベネシュ大統領の下に社会民主党も参加する共和国政権と対立した。共産党は各種選挙で10%前後の得票率を獲得し、ソビエト連邦を除くヨーロッパ諸国で最高の支持を集める共産党の一つだった。1939年3月14日にナチス・ドイツが軍隊をチェコスロバキア領内に進め、国家をドイツ保護領のベーメン・メーレン保護領 ボヘミア・モラビア保護領(チェコ地域)と独立スロバキア国にチェコスロバキア解体 解体すると、共産党は直ちに非合法化された。同年に第二次世界大戦が始まり、1940年にイギリスの支援でエドヴァルド・ベネシュを大統領とした亡命政府がロンドンで成立し、1943年にソ連と友好協力相互援助条約を締結すると、共産党は亡命政権との協力を進めた。また、ソ連に亡命した共産党員は1941年からの独ソ戦でソビエト赤軍に従軍してドイツ軍と戦った。一方、チェコスロバキア国内でも共産党員は厳しい弾圧を受け、多くの党員が強制収容所で命を落としながらもナチス支配に抵抗し、赤軍のチェコスロバキア侵入が近づいた1944年8月には、保護国成立に対抗して結成されていたスロバキア共産党が亡命政権派と協力してスロバキア民衆蜂起を実行したが、自力での祖国解放には失敗した。
チェコの歴史
この項目ではチェコの歴史を記述する。この地域は神聖ローマ帝国、オーストリア帝国、オーストリア・ハンガリー二重帝国、ナチス・ドイツ、ソ連など周辺の諸勢力の影響を受けてきた歴史を持つ。チェコは主に古来はケルト系先住民ボイイ人の名によりボヘミア(独:ベーメン:Böhmen)と呼ばれた西部の広大な盆地とモラヴィアの丘陵とからなる。西スラヴ系のチェック人(Czechs)が定着し、7世紀にはモラヴィア王国を建て、マジャル人の進出で衰退すると、ボヘミアには10世紀頃に王国を建てた。
大モラヴィア王国がマジャル人に滅ぼされると、10世紀にはチェヒ国がプシェミスル家によって建国された。またボヘミアにはヴァーツラフ1世が王に即位しボヘミア王国が成立した。1212年オタカル1世の時にボヘミア王国は称号と世襲が認められ、続いて神聖ローマ帝国によって、選帝侯とされた。
チェコの地域区分
チェコの地域区分(チェコのちいきくぶん)では、チェコの行政区画に関し、共時的、あるいは通時的に表す。チェコの地方行政区画は2000年に再編され、首都(hlavní město)と13の自治地域 (:cs:kraj kraj) に区分されている。
この再編により、歴史的なボヘミア・モラヴィア・シレジアの境界線は姿を消した。
プラハ :cs:Praha Praha
中部ボヘミア地方 :cs:Středočeský kraj Stedoesk kraj, Central Bohemian Region, Mittelböhmische Region
南ボヘミア地方 :cs:Jihočeský kraj Jihoesk kraj, South Bohemian Region, Südböhmische Region
プルゼニ地方 :cs:Plzeňský kraj Plzesk kraj, Plzeň Region, Region Pilsen
カルロヴィ・ヴァリ地方 :cs:Karlovarský kraj Karlovarsk kraj, Carlsbad Region, Region Karlsbad
チェコ語の動詞
チェコ語の動詞ではチェコ語の動詞の活用について述べる。不定詞は-tの語尾(あるいは”-ti”)をとる。単語によっては-ct (-ci)になる。
:”být” - ~である、 ”jít” - 行く、 ”péct” - 焼く
やや旧い形:
:”býti” - ~である、 ”jíti” - 行く、”péci” - 焼く
l分詞と受動分詞の二種類があり、過去形、受動形を作るのに用いられる。その場合主格の名詞と性・数による呼応を行う。
過去形、条件法にl分詞(エルぶんし)という分詞を用いる。
活動体
不活動体
女性
n/t分詞ともいい受動形を作るのに用いる。語尾は二種ある。
活動体
不活動体
dělána
děláno
děláni
dělány
dělána
チェコ軍団
ロシア革命後、ボリシェヴィキに対して蜂起し、日本を含む列国はチェコ軍団の救出を口実にロシア内戦に干渉した。旅団は師団に昇格し、1917年秋、2個師団、3万9千人から成る第1チェコスロバキア軍団が編成された。第2軍団の編成も計画されており、ロシア革命時には6万~8万人のチェコ人、スロバキア人がいたと推定されている。
十月革命後、ボリシェヴィキはドイツと単独講和した。チェコ軍団は、チェコスロバキア独立のために、シベリアを経由してウラジオストクに向かい、海路で西部戦線 (第一次世界大戦) 西部戦線に渡ることが決められたが、1918年3月半ばに至るまでウクライナにおいてドイツ軍、オーストリア軍と戦闘を継続せざるを得なかった。
1918年3月26日、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国人民委員会議は、チェコスロバキア国民会議ロシア支部と条約を締結し、チェコ軍団将兵が武装解除して、民間人としてウラジオストクに移動することを許可した。
チェコスロバキア
チェコスロバキア(チェコ語:”Československo”〔チェスコスロヴェンスコ〕、スロバキア語:”Česko-Slovensko”〔チェスコ・スロヴェンスコ〕)は、1918年から1992年にかけてヨーロッパに存在した国家。現在のチェコ チェコ共和国及びスロバキア スロバキア共和国により構成されていた。首都は現在のチェコの首都であるプラハ。国旗は現在のチェコ共和国と同じものが使用されていた。Československo (チェコ語)
(チェコの国旗 詳細)
国の標語: (1918年~1989年)Pravda vítězí”(チェコ語:真実は勝つ)”(1989年~1992年)Veritas Vincit”(ラテン語:真実は勝つ)”
公用語 チェコ語・スロバキア語
チェコ・スロバキア
『チェコスロバキア』より : チェコスロバキア(チェコ語:”Československo”〔チェスコスロヴェンスコ〕、スロバキア語:”Česko-Slovensko”〔チェスコ・スロヴェンスコ〕)は、1918年から1992年にかけてヨーロッパに存在した国家。現在のチェコ チェコ共和国及びスロバキア スロバキア共和国により構成されていた。首都は現在のチェコの首都であるプラハ。国旗は現在のチェコ共和国と同じものが使用されていた。Československo (チェコ語)
(チェコの国旗 詳細)
国の標語: (1918年~1989年)Pravda vítězí”(チェコ語:真実は勝つ)”(1989年~1992年)Veritas Vincit”(ラテン語:真実は勝つ)”
公用語 チェコ語・スロバキア語
チェコスロヴァキア
『チェコスロバキア』より : チェコスロバキア(チェコ語:”Československo”〔チェスコスロヴェンスコ〕、スロバキア語:”Česko-Slovensko”〔チェスコ・スロヴェンスコ〕)は、1918年から1992年にかけてヨーロッパに存在した国家。現在のチェコ チェコ共和国及びスロバキア スロバキア共和国により構成されていた。首都は現在のチェコの首都であるプラハ。国旗は現在のチェコ共和国と同じものが使用されていた。Československo (チェコ語)
(チェコの国旗 詳細)
国の標語: (1918年~1989年)Pravda vítězí”(チェコ語:真実は勝つ)”(1989年~1992年)Veritas Vincit”(ラテン語:真実は勝つ)”
公用語 チェコ語・スロバキア語
チェコ語アルファベット
チェコ語アルファベットは、チェコ語を書き表すために使われる字母で、ラテンアルファベットを基本とする42文字からなる。補助記号を用いた文字が15種類ある。なお、Q q , W w は外来語にしか用いない。ラテン文字でのチェコ語表記が始まったのは13世紀頃と見られている。はじめはひとつの文字を何通りにも読んだりしていたが、分かりにくいため14世紀頃から付属記号が使われ始め、15世紀に宗教改革を行ったヤン・フスがこれを推し進めた。さらに16世紀、宗教団体チェコ同胞兄弟団がこれに改良を加え現在に至る。
大文字小文字文字の名前音価
Áádlouhé á/a/
Bbbé/b/
Cccé/ts/
Čččé/t/
チェコ語のドイツの地名
チェコ語のドイツの地名はチェコ語でドイツの地名を表す語の一覧である。Aachen(アーヘン): Cáchy
Altenburg(アルテンブルク): Starohrad
Augsburg(アウグスブルク): Augšpurk
Bad Doberan(バート・ドベラーン): Dobřany
Bad Kissingen(バート・キッシンゲン): Chýžice
Bad Muskau(バート・ムスカウ): Mužakov
Bad Schandau(バート・シャンダウ): Žandov
Bamberg(バンベルク): Bamberk
Bautzen(バウツェン): Budyšín
Bayerisch Eisenstein(バイエリシュ・アイゼンシュタイン): Bavorská Železná Ruda
Bayreuth(バイロイト): Barout
Beeskow(ベースコウ): Beskov
Bischofswerda(ビショフスヴェルダ): Biskupice
Brandenburg an der Havel(ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェル): Braniboř
Braunschweig(ブラウンシュヴァイク): Brunšvik
チェコ語
name=チェコ語nativename=etina
states=チェコ共和国
region=東ヨーロッパ
speakers=1200万人
rank=73
family=インド・ヨーロッパ語族
スラヴ語派
西スラヴ語群 西スラヴ語
チェコ・スロヴァキア語
チェコ語
nation=チェコ共和国
agency=チェコ語学協会
iso1=cs
iso2 (B)cze, (T) ces
チェコ語の語順
チェコ語の語順は比較的に規則が緩やかであるが、大きくはSVO型に属する。おおまかな語順はSVO (主語(S) – 動詞(V) – 目的語(O))である。中性的な文で用いられる。:
Petr má nové auto. – (ペトルが (S) 取った(=得た) (V) 新しい車を (O))
ちなみに冠詞はない。
前の文や文脈から分かっていることが文頭に来て (テーマ、主題)、新しく話題になるものや重要なもの(レーマ)が文末に来る傾向がある。
Včera zemřel slavný herec. – 昨日に有名な俳優が死んだ。 (死んだのは有名な俳優である)
: (昨日 死んだ (V) 有名な 俳優 (S))
(Ten) známý herec zemřel včera. – 昨日に有名な俳優が死んだ。 (有名な俳優が死んだのは昨日である)
: (有名な俳優(S) 死んだ (V) 昨日)
Byl jednou jeden král a ten král měl tři dcery. –あるとき王がおり、その王は三人の娘をもうけた。
チェコ航空
航空会社 Czech Airlinesロゴサイズ
IATA OK
ICAO CSA
コールサイン CSA Lines
親会社 Czech Airlines, a. s.
設立日 1923年
本拠地 チェコ チェコ共和国プラハ プラハ市
代表者 Radomír Lašák (最高経営責任者 CEO)
ハブ空港 ルズィニエ国際空港
焦点都市
マイレージサービス OK Plus
ラウンジ CSA Crystal Lounge
航空連合 スカイチーム
保有機材数 49機
