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マケドニア 地図
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マケドニア旅行記 1
旧ユーゴスラビアの旅 ⑧ マケドニア
リポーター:ゴリ旅行スタート日:2009/10/
旅行終了日:2009/10/
オフリド湖の湖畔にある世界遺産の教会に行きたくてオフリドに向かう。アルバニアから山をいくつも越えてやってきた。オフリド湖畔はさすがに平坦だ。そして、リゾート地であるオフリドはとても美しい街であった。
【行程】
ウィーン⇒ベオグラード(セルビア)⇒サラエボ(ボスニア・ヘルチェゴビナ)⇒モスタル(〃)⇒ドブロブニク(クロアチア)⇒コトル(モンテネグロ)⇒ティラナ(アルバニア)⇒オフリド(マケドニア)⇒プリスティナ(コソボ)⇒スコピエ(マケドニア)⇒ニーシ(セルビア)⇒ベオグラード(セルビア)
アルバニアとマケドニアの国境を抜けたところ。古臭い看板がたっているが、上右にはマケドニアの国旗が書かれている。
ここで写真とっていると、先ほど国境で話しかけてくれたおっちゃんが、クラクションで合図してくれた。思わず手を上げて応える。
国境が山にあるのでしばらく下り。
とりあえずスコピエ(首都)方面だが、途中からオフリドに右折する必要がある。
すごく平坦な道になった。
ようやくオフリドの看板があった。
オフリド到着!国境から30分ほど。
リゾート地という感じ。信号待ちしていると、ホテルの部屋どうだ?と声をかけられる。
街中を過ぎたところで湖畔に向かう。
水が綺麗だ。
行きたいところはあのあたりだ。
さらに拡大すると、行きたい教会があった!
そして城壁もある。国旗がなびいている。
のどかな湖畔である。
ぽかぽかで少し汗ばむぐらいだ。
湖畔に建つホテル。泊まったら気持ちいいだろう。
車を市街地に移動させ、駐車場に入れて教会まで歩く。
湖畔にカフェもある。
古い教会もある。
こんな道を歩いていく。
かわいい家もあるのだ。
こっち方面が城壁なのだが、残念ながら城壁は見えない。
道端に普通にこういう絵があったりする。
少し上るので景色もよくなってくる。
目指す教会はもうすぐ。
おー、いい景色になってきた。
こっちも。でかい湖だ。
ボートがたくさんでている。
そしてついにありました!この景色を見たかったのだ。
それにしても美しい。
教会に近づいてきた。
これが入り口。
近くでみるとこんな感じ。中に入るには有料だ(2ユーロ)。中の壁にはびっしりと壁絵が書いている。中にいたおじさんが来た方に熱心に説明していた。もちろん、言葉はわからず・・・。
教会もいいのだが、ここからは景色も楽しめる。
地元の方と思われる方々も、このあたりでたむろっていた。世間話しでもしているのだろうか。こんなところでぼーっとできるなんて幸せだ。
30分近くいただろうか、十分堪能できたので、引き返す。
そして途中にある、このスポット。必ず立ち止まり写真を撮りたくなる。
この家々もいい雰囲気を出している。
旧市街地から見た風景。
こういうのはヨーロッパ的か。
そして港沿いに帰ってきた。ちょうどいい散策になる。
旧市街地はそれほど広くないので、すぐに周れるだろう。時間がないので、教会との往復に終わったのが残念。
みやげ物屋があったのでバッチを探すが残念ながらなかった。
こういうところで熱心に拝んでいる方もいた。
オフリドも満喫したし、さー出発!と思ったら駐車場を出るにはこの建物で支払いをしなければならないとのこと。小銭がなかったので銀行ATMでわざわざマケドニアのデナルを下ろす。
そしてこの男性、どうも駐車券をなくしたみたいで800デナルを請求されているようだ。確かに窓口に800デナルて書いている。銀行ATMに行って帰ってくるとまだいたので、相当もめているようだった。
オフリドの街、さようなら!
オフリドからスコピエに向かうが、最初はすごく平坦だった。しかし途中からこんな山道になる。
こんな建物もたまにあったりする。
天気がいいし、とても気持ちいのだ。山がとても美しく見える。
山間部にある街に入る。
モスクもある。
そして再び山道へ。しかしマケドニアはこれまで走った国でも最も道がいいのではないか。とても走りやすい。
結構標高が高そうだ。
そして途中から高速がある。オフリドで銀行ATMでおろしたデナルが役に立つ。
高速はひたすら一直線。警察を気にしながらもぶっ飛ばす。
スコピエまであと少し。
スコピエ手前はなだらかな丘陵地帯となる。
新しく高速ができているみたいで、スコピエを通らずにコソボ方面に抜けることができる。
プリスティナまで87Km。コソボの首都だ。
ここでコソボ方面へ。とても新しい高速で走りやすく、しかも車がほとんど通っていない。
少し休憩。犬がよってきたので、食べ物をあげた。
こっちがコソボ方面。
国境方面へ向かう。するとセキュリティと書かれた車が走っている。少し緊張感が増す。
スコピエの分岐から30分ほど走ると国境。あの向こうはコソボだ。
~⑨へ続く~
マケドニア旅行記 2
中欧・南欧+カタール旅行記3 マケドニア(スコピエ)編
リポーター:ピヨ彦旅行スタート日:2009/03/13
旅行終了日:2009/03/13
マケドニア
大きな旅行が出来るのは最後だと思い、中欧・南欧を周って来ました。
11ヶ国ギリシャ、アルバニア、マケドニア、セルビア、クロアチア、スロヴェニア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、トルコ、カタール
の順に行きました。
ほとんどそれぞれの国の首都を1~2日しか観光してません。
18:00にアルバニアのティラナから出発したコソボ自治州プリシュティナ行きのバスは22:00にマケドニア国境へ。
入国する際は、検査する人が乗り込んできた。
運転手が何を勘違いしたのか、集めたパスポートを返してもらってないのに発車してたので、それまでおとなしかった乗客が物凄い剣幕でバスを止めろてきなことを言っていた。
自分も焦っていたので助かった。
寝たらコソボ自治州まで行ってしまうと思い、スコピエで降りるよう必死で起きていたがあえなく沈没。。
スズキ!スズーキ!着いたぞ!!
自分鈴木ちゃいますけど。。まさかこの国でイチローが有名ということはないだろうし、日本人には鈴木という苗字が多いからとりあえず鈴木と呼んでみたのだろうか。。笑
よく見ると外は真っ暗。。
状況が全く飲み込めないままガソリンスタンドに降ろされた。
しかも自分だけ。
かなり焦ってどうしてここで降ろされなきゃいけないのかと聞いたら、ここからスコピエの中心まで近いから後はタクシーで行ってくれと言う。
時計を見たら午前3時。。
しょうがないので、ガソリンスタンドの店員にタクシーを呼んでもらった。
真夜中だし、一人で日本人が乗ったらボラれるんだろうと不安だった。
来たのはおじいさんで英語も全く通じない。
ただ20ユーロといっているようだ。
ガソリンスタンドの店員は都心まで20分ぐらいで着くと思うと言っていたので、まぁ夜中だし妥当なのかなと思いながらも値切ったら15ユーロになった。
それでも夜行バス代より少し安いくらいか 笑
しかしこのおじいさんがいい人で、降りてからも夜中で危ないから中央駅なかにいろとか、国際バス乗り場も窓口にいってセルビア行きのバスの時間帯などを聞いてくれたりした。
結局バスの切符売り場で夜が明けるまで座っていた。
ベオグラード行きのバスは1日に13便も出ていた。
夜が明けて外に出ると凍てつくような寒さが待っていた。。
とりあえず歩いてマケドニア広場を目指す。
じっとしていたら凍死してしまう。。
5:30分くらいなので勿論ほとんどのお店はやっていない。
これは中心に位置するスコピエショッピングセンター。
寒さと眠さのせいで疲労のピーク。。
気力で朝早くからやっている喫茶店を探すがなかなか見つからない。
広場の近くに6時からやっているパン屋さんがあったのでそこに90分くらい居座る。
マケドニアのバスターミナルでは、自分にとって得体の知れない国であり、しかも着いたときは夜中だったので緊張してずっと起きていた。
なのでここで仮眠をとった。
みんなこれを買っていたので自分も飲んでみる。
中身は普通のヨーグルト。
スコピエ広場。
街の中心。早朝なので人も少ないがお昼くらいには混雑する。
石橋のカメン・モスト。
ここもお昼くらいにはすごい数の人で賑わう。
朝早くに三つの伏せたコップのうち一つにコインを入れ、シャッフルしてコインの入ったコップがどこに入ってるのか当てる賭博が行われていた。
見ていると20ユーロとか、500デナルの札をかけ観客数人が勝っていた。
そんなにはやい動きではなかったので自分でもコップを目で追って、予想どうりの結果になった。
実はこれと同じような手品の本を幼いころ持っていたので、最初に少し勝たせて高額をかけさせてからずるして負けさせるんだろうということはなんとなく想像できた。
負けさせるときは、2つのコップにもコインを入れておき
オープンするときに手の中に回収するか、布をかけた段ボール箱の台の見えない部分に落とせば空のコップになる。
んでもって残念でしたと、コインの入ったもう一方コップをオープンするのだろう。
この観客の数人ははサクラなんだろうなと思って見ていたが、案の定、絶好の騙す標的であろう自分にもお声がかかる。
見ていた数人も簡単で自分もこれだけ勝ったから、お前もやってみろ!!と促してくる。
勿論丁重にお断りしました 笑
本当に詐欺なのかは勿論わからないが、こんな公然とした場所でこういう賭博をやっていることに驚いた。
写真は橋のそばにあるアートギャラリー。
15世紀に建てられたトルコ式浴場を転用したもの。
オールドバザール。
見てて面白いのでふらふら散歩しました。
新しい靴下を5足補充しました。
それでも300デナル。約600円。
聖スパス教会。
中には棺?があった。
ムスタファ・パシナ・ジャーミヤ。
改修工事中で入れなかった。
。。
丘に建つ城塞。
中では大勢で発掘作業が行われていた。
丘の上にあるのでスコピエの町並みが一望できます。
旗がたっている場所に登ります。
中は薄暗くて怖かった。
眺めは良かった。
眼下に見えたヴァルダル川はマケドニア共和国で最長の河川であり、ギリシャの主要河川のひとつ。
総延長は388キロメートル、流域面積は2万5千平方キロメートルに及ぶ。
城塞の近くにあり、暇なので入ってみた。
無料。
自分の他に誰も居なかった。
現代アートというだけあって斬新すぎて、自分にはついていけなかった 笑
ザワ。。ザワ
ルートを間違えて地下室に入ってしまった。
ドアを開けると。。。。
マジでびっくりしました。
マケドニア博物館。
ここも自分だけ。わかりずらい場所にあった。
宿泊場所もなく、常にスコピエでは歩き回っていたが、博物館の中は暖かく居心地もよかったため休憩も兼ねて長居した。
民族衣装。
客が全くいなくて暇そうだった学芸員のおじさんが丁寧に案内してくれた。
途中で黒い背広をきたお偉いさんたちの集団が博物館を訪れるとそっちに付きっきりで説明していた。
スコピエ・ショッピングセンター。
写真ではわからないが賑わっていました。
アルバニアのティラナにあった像と同じようなテレサ像がマケドニア通りにひっそりとたっていた。
聖クリメント大聖堂。
靴が安物なのと、旅行してから毎日何時間も歩いていたため足の裏の皮がむけた。
以降靴ずれに苦しむことに。。
これは旧鉄道駅を利用したスコピエ博物館。
20:30NIS経由ベオグラード行きのバスに乗ります。
ただ到着したのは4:30で真っ暗だったので、もっと遅い時間にすればよかった。
20時に電光掲示板が消え焦った。
1300デナル、2600円くらい。
ユーロは受け付けもらえなかった。
ここは厳重に管理され、室温は8度、40cm近づくと警報がなる。
きっと価値ある作品なのだろうが、豚に真珠である。
今回、11ヶ国周ったのだが、首都ばかりでそうすることもなく時間潰しのためにその国を代表すると思われる博物館、美術館などに足をのばした。
マケドニア 写真2
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マケドニア
マケドニアはヨーロッパのバルカン半島中央部にある地方名
古代に1.を領有したマケドニア王国。
1.の出身者が起こした東ローマ帝国の王朝(マケドニア王朝 (東ローマ)を参照)。
マケドニア地方の一部を占めるスラヴ人による旧ユーゴの独立国については、マケドニア共和国を参照。
*中央マケドニア
*西マケドニア
*東マケドニア・トラキア
イタリア料理のデザートの一種のマチェドニア。この地域から名付けられた。マチェドニアはマケドニアのイタリア語読みである。
切る (フランス料理) フランス料理の切り方の一つ、マセドワーヌ。
ギリシャ共和国の地方行政区分(περιφέρειες)
マケドニア共和国
マケドニア共和国(マケドニアきょうわこく)は、東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和国。旧ユーゴスラビア ユーゴスラビア連邦を構成していた国のひとつで、南はギリシャ、東はブルガリア、西はアルバニア、北はセルビアと、四方を外国に囲まれた内陸国である。国土は、地理的・歴史的にマケドニアと呼ばれてきた地域の北西部にあたる。マケドニア共和国はマケドニア地域全体の約4割を占め、残りは、約5割がギリシャに、約1割がブルガリアに分属する。マケドニア共和国の多数民族はマケドニア人と自称・他称されるが、彼らはスラヴ語派 スラヴ語の話し手で南スラヴ人の一派であり、ギリシャ系の言語を話していた古代マケドニア王国の人々と直接の連続性はない(このため、ギリシャとの間で国名を巡って激しい論争がある(後述))。
マケドニア旧ユーゴスラビア共和国
『マケドニア共和国』より : マケドニア共和国(マケドニアきょうわこく)は、東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和国。旧ユーゴスラビア ユーゴスラビア連邦を構成していた国のひとつで、南はギリシャ、東はブルガリア、西はアルバニア、北はセルビアと、四方を外国に囲まれた内陸国である。国土は、地理的・歴史的にマケドニアと呼ばれてきた地域の北西部にあたる。マケドニア共和国はマケドニア地域全体の約4割を占め、残りは、約5割がギリシャに、約1割がブルガリアに分属する。マケドニア共和国の多数民族はマケドニア人と自称・他称されるが、彼らはスラヴ語派 スラヴ語の話し手で南スラヴ人の一派であり、ギリシャ系の言語を話していた古代マケドニア王国の人々と直接の連続性はない(このため、ギリシャとの間で国名を巡って激しい論争がある(後述))。
マケドニア・旧ユーゴスラビア共和国
『マケドニア共和国』より : マケドニア共和国(マケドニアきょうわこく)は、東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和国。旧ユーゴスラビア ユーゴスラビア連邦を構成していた国のひとつで、南はギリシャ、東はブルガリア、西はアルバニア、北はセルビアと、四方を外国に囲まれた内陸国である。国土は、地理的・歴史的にマケドニアと呼ばれてきた地域の北西部にあたる。マケドニア共和国はマケドニア地域全体の約4割を占め、残りは、約5割がギリシャに、約1割がブルガリアに分属する。マケドニア共和国の多数民族はマケドニア人と自称・他称されるが、彼らはスラヴ語派 スラヴ語の話し手で南スラヴ人の一派であり、ギリシャ系の言語を話していた古代マケドニア王国の人々と直接の連続性はない(このため、ギリシャとの間で国名を巡って激しい論争がある(後述))。
マケドニア王朝 (東ローマ)
マケドニア王朝は、東ローマ帝国(ビザンティン帝国・ビザンツ帝国)中期の王朝(867年-1057年)。867年にマケドニア地方生れのアルメニア人農民出身のバシレイオス1世が、クーデターでアモリア朝3代目の皇帝ミカエル3世を倒して皇帝に即位し、新王朝を開いた。
バシレイオス1世の子孫からは法律や行政に優れたレオーン6世や、文化人として知られたコンスタンティノス7世などが輩出し、政治・経済・軍事・文化などの面で東ローマ帝国は躍進を遂げた。
コンスタンティノス7世の息子ロマノス2世の未亡人テオファノと結婚して帝位についた軍人皇帝ニケフォロス2世フォカスは、アンティオキアを約300年ぶりにイスラム勢力から奪回し、ニケフォロスを殺して帝位を奪ったヨハネス1世ツィミスケスも、ブルガリアやキエフ大公国軍を破り、シリア・パレスチナを制圧した。ヨハネスの死後実権を取り戻したロマノス2世の息子バシレイオス2世は東西で戦いを進め、1018年には宿敵第1次ブルガリア帝国を滅ぼして、ユスティニアヌス1世の時代以来最大の版図を実現。バシレイオス2世の下で南イタリア・バルカン半島・小アジア・北シリア・アルメニアを支配する東地中海の大帝国として、東ローマ帝国は最盛期を迎えた。
マケドニア地方
『マケドニア』より : マケドニアはヨーロッパのバルカン半島中央部にある地方名
古代に1.を領有したマケドニア王国。
1.の出身者が起こした東ローマ帝国の王朝(マケドニア王朝 (東ローマ)を参照)。
マケドニア地方の一部を占めるスラヴ人による旧ユーゴの独立国については、マケドニア共和国を参照。
*中央マケドニア
*西マケドニア
*東マケドニア・トラキア
イタリア料理のデザートの一種のマチェドニア。この地域から名付けられた。マチェドニアはマケドニアのイタリア語読みである。
切る (フランス料理) フランス料理の切り方の一つ、マセドワーヌ。
ギリシャ共和国の地方行政区分(περιφέρειες)
マケドニア地域
『マケドニア』より : マケドニアはヨーロッパのバルカン半島中央部にある地方名
古代に1.を領有したマケドニア王国。
1.の出身者が起こした東ローマ帝国の王朝(マケドニア王朝 (東ローマ)を参照)。
マケドニア地方の一部を占めるスラヴ人による旧ユーゴの独立国については、マケドニア共和国を参照。
*中央マケドニア
*西マケドニア
*東マケドニア・トラキア
イタリア料理のデザートの一種のマチェドニア。この地域から名付けられた。マチェドニアはマケドニアのイタリア語読みである。
切る (フランス料理) フランス料理の切り方の一つ、マセドワーヌ。
ギリシャ共和国の地方行政区分(περιφέρειες)
マケドニア王国
マケドニア王国は、紀元前7世紀に、現在のギリシャのマケドニア地方の一部とマケドニア共和国南部のビトラにまたがる地域に誕生した歴史上の国家である。紀元前7世紀頃、古代ギリシアの民族の一つであるドーリア人により建国されたといわれる。ギリシア人であることを主張し、古代オリンピア競技の祭典にも参加していたが、先進地域であったアテナイや南部諸ポリスなどは、マケドニアを北方の辺境の地にある野蛮人の国だと見なしていた。マケドニアはまた、王が一夫多妻制を取るなど、ギリシアの他の地域とは違う制度を有していたようである。
ギリシアとペルシアの中間に位置したマケドニアは、ペルシャ戦争ではアレクサンドロス1世の指導のもと、ペルシア側についた。しかし戦後、ギリシア地域へのペルシアの影響力が後退すると、政策をギリシア諸国よりに転換し、同盟を結んだり、人質を有力国へ送ったりして、友好を図った。
マケドニア属州
マケドニア属州(Macedonia)は、マケドニア地方に成立した古代ローマの属州である。現在のギリシャ、ブルガリア、およびマケドニア共和国の領域に存在した。マケドニアは、正式には紀元前146年に共和政ローマの属州となった。それ以前に、マケドニア王国がローマの保護国(クリエンテス)である4つの共和国に分割されて存在していたが、アンドリスクスが率いるマケドニア人が反乱を起こし、これを148年にローマ将軍クィントゥス・カエキリウス・メテルスが制圧した後に、ローマ属州として再編された。マケドニア属州には、エピルス・ウェトゥス、テッサリア、およびイリュリアやトラキアの一部も編入された。
3世紀か4世紀に、マケドニア属州は分割され、南側がマケドニア・プリマ(Prima)、北側がマケドニア・サルタリス(Salutaris)となった。
マケドニア (曖昧さ回避)
マケドニアは、ヨーロッパのバルカン半島中央部にある地方名。古代にマケドニアを領有したマケドニア王国。
古代ローマの属州であったマケドニア属州。
マケドニア出身者が起こした東ローマ帝国の王朝(マケドニア王朝 (東ローマ)を参照)。
マケドニア地方はバルカン戦争以降、ギリシャ、セルビア、ブルガリアの3国によって分割された。(統一マケドニアも参照)
セルビア領となったマケドニア地方はヴァルダル・マケドニアとよばれる。ユーゴスラビア領を経て独立し、マケドニア共和国となった。
ブルガリア領のマケドニア地方はピリン・マケドニアと呼ばれる。ブラゴエヴグラト州を参照。
ギリシャ領のマケドニア地方はエーゲ・マケドニアとよばれる。マケドニア (ギリシャ)を参照。
マケドニア語
name=マケドニア語nativename=Македонски
states=マケドニア共和国、ブルガリア、セルビア、モンテネグロ、ギリシャ、アルバニア
region=バルカン半島
speakers=200万人 rank=100位以下
family=インド・ヨーロッパ語族 スラヴ語派 南スラヴ語群 マケドニア語
nation=マケドニア共和国
agency=--- iso1=mk
iso2=mac (B), mkd (T)
sil=mkd
マケドニア語は主としてマケドニア共和国 マケドニアで使用されている言語である。スラヴ語派の南スラヴ語群に属する。
マケドニア語はブルガリア語、セルビア語との類似性を持っている。これらの言語はルーマニア語やギリシャ語などと共にバルカン言語連合と呼ばれる。
マケドニア朝ルネサンス
マケドニア朝ルネサンスは、10世紀の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)における古典の復興と文化の高揚を指し、近年使われるようになった用語である。7-8世紀、東ローマ帝国の文化は、イスラム帝国やブルガリア帝国の侵攻と内乱のために停滞を余儀なくされていた。
文化の再生は9世紀のアモリア王朝末期から始まっており、コンスタンティノポリスの宮殿内に高等教育機関「メガ・ディダスカリオン」(「帝国大学」と訳されることが多い)が設置され、学問研究が進められた。そこで教授を務めていた数学者レオーンや当時を代表する大知識人フォティオス(後のコンスタンティノポリ総主教庁 コンスタンティノポリス総主教)などによって古代ギリシャの研究が進んだ。
マケドニア人
マケドニア人(Македонци)は、マケドニアに住む人々のことをさす。時代によって定義は異なる。古代から中世にかけ、マケドニア地方に在住したギリシャ人の一派。
主として現代のマケドニア共和国に在住する南スラブ人。
ここでは2.について述べる。
現代のマケドニア人アイデンティティは、1945年のユーゴスラビア社会主義化をうけて成立したものである。したがって19世紀後半の時点では、ブルガリア人とマケドニア人との違いは曖昧なものであった。実際、その時代のブルガリアの人物のなかには、マケドニア共和国の歴史ではマケドニア人とみなされる人物も存在する。
1912年にギリシャ・セルビア王国_(近代) セルビア・モンテネグロ・ブルガリア王国_(近代) ブルガリアはオスマン帝国に宣戦し、ギリシャその他四国(バルカン同盟)が勝利した。戦後のロンドン条約_(1913年) ロンドン条約でバルカン同盟はマケドニア地方を獲得し、モンテネグロ以外の三国がこれを分割した。また、アルバニアが新たに独立した。
マケドニアの国旗
用途及び属性=画像:FIAV 111000.svg 30px縦横比=1:2
制定日=1995年10月5日
使用色=
赤(パントーン485c/色空間 CMYK=0-100-90-0)
黄(パントーン108c/色空間 CMYK=0-0-100-0)
マケドニア共和国 マケドニアの国旗(マケドニアのこっき)は、赤地に8本の光を放つ黄色の太陽を描いた旗。1995年国号を「旧ユーゴスラビア・マケドニア共和国」と改めた際に併せて制定された。
1991年マケドニアが独立した当初は、赤地に16本の光を放つ黄色の太陽(ヴェルギナの星)が描かれていたが、隣り合うギリシャが青地に同じ太陽をあしらった旗をマケドニア州のシンボルとして使用していたこともあって、国旗の意匠がギリシャ政府とマケドニア共和国政府との論争を巻き起こした。
マケドニア共和国の国旗
『マケドニアの国旗』より : 用途及び属性=画像:FIAV 111000.svg 30px縦横比=1:2
制定日=1995年10月5日
使用色=
赤(パントーン485c/色空間 CMYK=0-100-90-0)
黄(パントーン108c/色空間 CMYK=0-0-100-0)
マケドニア共和国 マケドニアの国旗(マケドニアのこっき)は、赤地に8本の光を放つ黄色の太陽を描いた旗。1995年国号を「旧ユーゴスラビア・マケドニア共和国」と改めた際に併せて制定された。
1991年マケドニアが独立した当初は、赤地に16本の光を放つ黄色の太陽(ヴェルギナの星)が描かれていたが、隣り合うギリシャが青地に同じ太陽をあしらった旗をマケドニア州のシンボルとして使用していたこともあって、国旗の意匠がギリシャ政府とマケドニア共和国政府との論争を巻き起こした。
マケドニア王
『ピリッポス2世』より : フィリッポス2世(Philippos II , 紀元前4世紀 紀元前382年 - 紀元前336年)は、マケドニア王国 古代マケドニア王 (在位紀元前359年 - 紀元前336年)。アミュンタス2世の子。アレクサンドロス3世 アレクサンドロス大王の父。紀元前5世紀後期から強国になっていた古代マケドニアの軍制改革を押し進め、古代ギリシアの先進地域であった南部諸ポリスの抗争に積極的に介入した。
紀元前338年、カイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍を破ってスパルタを除く全ギリシャに覇権を唱えるとペルシャ遠征を目指したが、娘の祝宴の席で呆気なく暗殺され、ペルシャ遠征の偉業は息子のアレクサンドロス大王に引き継がれた。
マケドニア共和国軍
マケドニア共和国軍(Армија на Република Македонија;略称АРМ)は、マケドニア共和国の国軍。空軍等の軍種は存在せず(内陸国なので、当然海軍もない)、一軍制である。マケドニア国防省 国防省
マケドニア共和国軍参謀本部
統合作戦司令部
*第1機械化歩兵旅団
*第2機械化歩兵旅団
*予備歩兵旅団
*マケドニア航空団 航空団
*戦車大隊(1個中隊が現役)
*砲兵大隊(1個中隊が現役)
*憲兵大隊
*通信大隊
*防空大隊(1個中隊が現役)
*核・化学・生物学防護中隊
兵站支援司令部
マケドニア紛争
マケドニア紛争(まけどにあふんそう)は、マケドニア共和国 マケドニア旧ユーゴスラビア共和国北部で2001年に発生した紛争。旧ユーゴスラビアから独立後、おおむね安定していたマケドニア国内でも、コソボ紛争によって約50万人のコソボ地域のアルバニア系住民が難民として押し寄せてきた。人口の3割を占めるアルバニア系住民はかねてより高度な自治を要求していたが、難民流入によってアルバニア民族主義が高まり、2001年2月、アルバニア系住民の民族解放軍(NLA)が武装蜂起した。これにコソボ コソボ自治州から武装勢力が越境して介入しようとした為、マケドニア軍との間で戦闘が起こった。事件は3月後半から国際社会で認知され、ヨーロッパ各国は行方を憂慮していたが、数ヶ月に渡って小競り合いが続いたため、北大西洋条約機構(NATO)が8月に介入して、アルバニア系住民の権利拡大を認める和平合意文書(オホリド合意)に調印して停戦、NATO軍が駐留を開始した。11月に合意に基づき議会が憲法を改正、2002年9月の総選挙では、マケドニア人政党「社会民主同盟」が政権を奪還し、NLAが改組したアルバニア人政党「民主統合連合」と連立政権を組んだ。その後もアルバニア系武装勢力によるテロ事件や、警察との衝突が散発的に起こったが、現在は落ち着き、治安は安定している。
マケドニア共和国の政党一覧
マケドニア共和国の政党一覧では、マケドニア共和国で活動する政党について述べる。マケドニアでは複数政党制が機能している。2つの主要政党がそれぞれ、選挙において他の政党と共闘し、勝利した場合は連立政権を組むのが通例となっている。
内部マケドニア革命組織・マケドニア国家統一民主党 - 中道右派、キリスト教民主主義
マケドニア社会民主同盟 - 中道左派、社会民主主義
民主統合連合 - 少数民族アルバニア人の政党
アルバニア人民主党 - 少数民族アルバニア人の政党
内部マケドニア革命組織・人民党 - 中道右派、保守
マケドニア自由党 - 中道右派、自由主義
自由民主党 (マケドニア共和国) 自由民主党 - 中道左派、自由主義
新社会民主党 (マケドニア共和国) 新社会民主党 - 中道左派、社会民主主義
マケドニア航空団
マケドニア航空団(Воздухопловен ВИНГ)とは、マケドニア共和国軍統合作戦司令部傘下の航空部隊。以前は、軍種としての空軍及び防空軍(ВВ и ПВО)であったが、2005年12月の軍事改革により統合作戦司令部傘下の航空部隊となり、マケドニア共和国軍は一軍制となった。全機体は、ジェット機の離着陸に適した国内唯一の飛行場、首都スコピエに駐機している。
マケドニア空軍及び防空軍は、ユーゴスラビア崩壊直後に創設された。当初、その編成下には、VIP用の輸送機しかなかった(ズリン242×4機とSuper King Air及びAn-2×1機ずつ)。打撃構成要素は、6機のMi-8/17が保障した。
2001年、マケドニアは内戦に巻き込まれ、航空機が緊急に必要となった。ウクライナが援助を行い、Su-25×4機、Mi-8MTV-1×4機及びMi-24×6機が短期間で納入された。これらの機体は、政府軍の勝利に決定的な役割を演じた。
