serbia_montenegro セルビア・モンテネグロを旅しよう!!

  


セルビア・モンテネグロ 地図


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セルビア・モンテネグロ 写真

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セルビア・モンテネグロ旅行記 1

セルビア ヨーロッパとオリエント文明の十字路、ベオグラード

リポーター:boss
旅行スタート日:2010/02/02
旅行終了日:2010/02/02

serbia_montenegro ➛名所・史跡を投稿画像で紹介。 ➛セルビアの首都、ベオグラードはドナウ川とサバ川の合流地点にあって、ヨーロッパとアジアを結ぶ交通の要として発展してきた歴史ある街です。ケルト人によって街が作られたのは紀元前三世紀というのですからアテネやローマと並ぶヨーロッパの最古の都市です。 ➛聖サバ大聖堂の夜景 http://www.panoramio.com/photo/192078 ➛名所・史跡を訪ねて http://joy555.blogspot.com/2010/02/blog-post_02.html

serbia_montenegro ➛聖サバ大聖堂 http://www.panoramio.com/photo/6895722


serbia_montenegro ➛14世紀末から500年間この地を支配したトルコの影響は大きく、街のそこかしこにその跡が残ります。食べ物や音楽にもその影響が現れ、町には西方文化と東方文化が融合したどことなく不思議な雰囲気が漂っています。 ➛セントマルコ教会 http://www.panoramio.com/photo/1845


serbia_montenegro ➛セントマルコ教会 http://www.panoramio.com/photo/5347376


serbia_montenegro ➛カレメグダン城址公園の石積みの城壁に囲まれた広い敷地内には、二つのセルビア正教会を始めとして 15 世紀の塔、勝者のモニュメント、軍事博物館など見所が数多くあります。中でも高台から望む川の合流点の眺めは圧巻です。 ➛カレメグダン城址 http://www.panoramio.com/photo/4931061


serbia_montenegro ➛カレメグダン城址から眺望 http://www.panoramio.com/photo/1005492


serbia_montenegro Zindanゲート http://www.panoramio.com/photo/12687584


serbia_montenegro ➛ドナウ川サヴァ http://www.panoramio.com/photo/3058947


serbia_montenegro ➛共和国広場を出ると歩行者天国、Knez Mihailova通りに出ます。多くのレストランやギャラリーなど、夏には街の中心が長期屋外カフェに様変わりします。 ➛Knez Mihailova 通り


serbia_montenegro ➛博物館、美術館も市内の各所に点在しており、印象派のコレクションで知られる国立博物館や、正教会博物館、民族博物館、近代美術館、ニコラ・テスラ博物館、フレスコ画美術館など、多様な文化の香りが楽しめます。 ➛共和国広場と国立博物館 http://www.panoramio.com/photo/10078289


serbia_montenegro ➛国立劇場 http://www.panoramio.com/photo/3917874


serbia_montenegro ➛タウンホール http://www.panoramio.com/photo/432543


serbia_montenegro ➛国民議会 http://www.panoramio.com/photo/10824010




セルビア・モンテネグロ旅行記 2

警察が多すぎる セルビア ベオグラード

リポーター:kawabekentarou
旅行スタート日:2009/10/28
旅行終了日:2009/10/28

セルビア
serbia_montenegro 10*28 セルビア ベオグラード/ 無事にセルビアに着いた。しかし、ボスニア、クロアチア、セルビアと経由するため、何度もパスポートコントロールで起こされ、全然眠れなかった。ニュージー子達と別れ、荷物を預け、ブルガリア行の便を買い、エナジードリンクを飲んだ。そーいえば最近レッドブルを飲んでなく、健康だったな~。本当はマケドニアに行きたかったんだけど、コソボの近くを通るし、不安だったのでブルガリア経由の遠回りで行く事にした。割高だが今回はちゃんとベッドをゲット!セルビアと言えば、これまた複雑でセルビア人優位のユーゴスラビアを設立して他民族の反感をかったり、NATOの空爆でも有名だし、コソボ問題を抱えてたりする。それについては後々書くとして、今はカレメグダンの丘にきて、ドナウ川を眺めている。ここには軍事博物館や要塞、戦車ミサイル等いろいろある。セルビア人がどのような戦いをしながら今にいたるのかをしりたくなり、軍事博物館に入り、自分の目で確かめて来た。他にもいろいろまわった。それにしてもスプリットに来てから今迄、アジア人に全く会わない…。全て一人回ってる感じがする…。しかもセルビアは警察が沢山いて監視されている気持ちにもなる…。なんか旅が少し疲れてきたのかな…。早くトルコに行きたくなったよ。ルーマニアとモンテネグロにも当初は行く予定だったがマジで疲れた。なんか行く気力が無くなったのも事実だ。多分俺のコミュニケーション不足だ。英語さえ通じればと思うが、ここはスラブの国である。スラブ語さえわかれば旅が楽しいはずだ!いつかまた訪れたいから、次はスラブ語を勉強するぞ!それで、もっとセルビア人とコミュニケーションをとう!!また、iPodさえあれば全く違うし、元気なのに…。今日の夜にブルガリアに行き、バッパーが集まりそうなホステルに泊まろう!そうすれば元気がでるぞ!ファイツッ!駅に向かう帰りにNATOの空爆により、崩壊した建物があった。痛々しく残っていた。すでに見所回って、やることもなく駅のカフェで4時間位列車をまった。マジで可笑しくなりそうだ~。でも、カフェの子が親切で英語が解らないなりにいろいろと話してきた。今思えば可愛かったな~、というか、何度もすいません、セルビア人はマジで綺麗です!でも、会うセルビア人はやはり空爆の件もありアメリカをかなり嫌っていた。 概要 セルビア共和国の首都であり、最大都市である。ベオグラードはバルカン半島、パンノニア平原の中にあり、ドナウ川とサヴァ川の合流地点に広がっている。2007年の公式の推計による人口は1,630,000人であった。かつてはユーゴスラビア社会主義連邦共和国の首都であり、旧ユーゴスラビア地域で最大の都市である。また、ドナウ川沿いでは2番目に大きく、バルカン半島ではイスタンブル、アテネ、ブカレストに次いで4番目に大きい。ヨーロッパでも最古の都市の一つであり、考古学的な調査では、同地における人の居住は紀元前6千年紀にまでさかのぼる。ベオグラード広域都市圏の域内はヴィンチャ文化とよばれる、ヨーロッパ最大の前史文明の発祥の地である。町はギリシャ人に発見され、ケルト人によって築かれて命名された。ローマ帝国によって都市権を与えられた。600年代に白セルビア人による定住が始まる。ベオグラードは戦略的拠点として、町は古代より現代までの間に140回にわたって戦いの場となった。中世には、東ローマ帝国、フランク人、第一次ブルガリア帝国、ハンガリー王国、そしてセルビア人の諸領主の支配地となった。1521年、ベオグラードはオスマン帝国に征服され、オスマン領ヨーロッパの重要拠点として、スメデレヴォ県(スメデレヴォ・サンジャク、Semendire Sancağı)の中心都市となった。ベオグラードはオスマン帝国とハプスブルク君主国に交互に支配され、セルビアの首都としての地位を回復するのは1841年のことであった。しかし、ベオグラード北部はその後も1918年のオーストリア=ハンガリー帝国崩壊までオーストリアの統治下におかれ続けた。その後統一されたベオグラードは、2006年にセルビアが独立するまでの間、ユーゴスラビア王国、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、ユーゴスラビア連邦共和国、セルビア・モンテネグロの首都を歴任した。ベオグラードはセルビアの中で、自治権のある独自の市政府を持つ、独立した地位を持っている。ベオグラードは17の区に分かれ、それぞれの区は独自の区議会を持つ。ベオグラードはセルビアの面積の3.6%を占め、セルビアの人口の24%が居住する。ベオグラードはセルビアの経済活動の中心であり、セルビアの文化、教育、学術の中心である。 セルビアは南東ヨーロッパ、バルカン半島西部の国家。 首都ベオグラードは、これまでもユーゴスラビアおよびセルビア・モンテネグロの首都であり、セルビアはユーゴスラビア連邦共和国の中心となる共和国であった。2006年6月3日のモンテネグロの分離独立に伴い、独立宣言をした。 歴史 戦間期 第一次世界大戦後、1918年のサン=ジェルマン条約により、旧オーストリア=ハンガリー帝国領の南スラヴ人地域はセルブ・クロアート・スロヴェーン国として分離した。この国はセルビア、モンテネグロとともに「セルブ・クロアート・スロヴェーン王国」を結成し、南西スラヴ人の統一国家が誕生した。1919年のパリ講和会議では日本の提出した人種差別撤廃案に賛成するなど民族問題に取り組む姿勢をとった。ところが、建国当初から民族間の不和が続き、政治は行き詰まっていた。状況の打開を試み、1929年にセルビア王アレクサンダル1世がクーデターを起こしユーゴスラビア王国とした。しかしアレクサンダル1世はマケドニア人の民族主義組織・内部マケドニア革命組織に暗殺され、後継となった摂政パヴレ・カラジョルジェヴィチはクロアチア人に対してクロアチア自治州の設置を認めたものの、民族間の不和は解消されなかった。 第二次世界大戦 第二次世界大戦ではナチス・ドイツに侵攻され、王国政府はロンドンに逃れて亡命政権を樹立した。ドイツ軍は傀儡政権であるセルビア救国政府を成立させる一方で、軍政を敷いてセルビアでの事実上の支配権を握った。他方で、ユーゴスラビア王国軍で主流であったセルビア人将校が中心となり、ドイツ軍に対抗する武装組織チェトニックが組織された。しかし、ドイツ軍政当局はドイツ軍の死者1人につきセルビア人市民100人、ドイツ軍の負傷者1人につきセルビア人市民50人を殺害する規定を導入し、セルビア人市民を虐殺した。チェトニックたちの多くはドイツ軍への抵抗をあきらめ、次第に軍政当局に協力する立場へと転じていった。 代わってドイツに対しての抵抗運動を展開したのは、ヨシップ・ブロズ・ティトーをはじめとするパルチザンである。チェトニックはドイツ軍への抵抗をしない代わりに、クロアチア独立国でセルビア人がジェノサイドの対象となっていることへの報復としてクロアチア人やボシュニャク人に対する大量虐殺を始めた。これに対して、パルチザンは多民族混成の抵抗運動であり、市民への虐殺をせず、ドイツ軍に対して粘り強く抵抗した。一時はウジツェに解放区を作るなど目覚しい戦果を挙げ、やがて多くの市民がパルチザンに加わっていった。パルチザンは、ソ連軍が侵攻してくる前に、自力でユーゴスラビアから枢軸勢力を駆逐し、ユーゴスラビア民主連邦を成立させた。 社会主義時代 ユーゴスラビアを自力で解放することに成功したチトーは、王の帰国とロンドンの亡命政権を否定し、独自にユーゴスラビアの再建を始めた。戦後の政権党となったユーゴスラビア共産党(その後1952年にユーゴスラビア共産主義者同盟に改称)は、次第に共産主義の盟友であったソビエト連邦との路線対立が拡大し、1948年にはコミンフォルムを追放された。それ以降、セルビアを含むユーゴスラビア連邦は、ソビエト連邦の支配からはずれ、他の東側諸国とは一線を画するようになる。ユーゴスラビアは西側諸国との良好な関係を築き、マーシャル・プランを受け入れる姿勢を取り、ソ連と対立していた。1953年にティトーがユーゴスラビアの大統領となり、ソ連と一線を画した社会主義政策を展開した(自主管理社会主義)。また、非同盟運動を推進し、第三世界の主要国としての地位を確立した。しかし、1980年にチトーが死ぬと、セルビア領であるコソボ社会主義自治州がセルビアからの分離を求め、セルビア人との対立が深刻化するなどの民族対立や、地域の経済格差が顕在化した。セルビア人たちは、ユーゴスラビア連邦の枠内で自民族の権利が不当に低く扱われていると不満を募らせ、他方でスロベニアやクロアチアでは公然とユーゴスラビアからの分離を求める勢力が伸張した。1991年にはクロアチア、スロベニア、マケドニア共和国がユーゴスラビアから独立、1992年にボスニア・ヘルツェゴビナが独立した。残されたユーゴスラビア連邦はセルビア大統領のスロボダン・ミロシェヴィッチが事実上支配下に置き、ユーゴスラビアはセルビア人の国家とみなされるようになった。 ユーゴスラビア連邦に残っていたセルビア共和国とモンテネグロ共和国の2つの共和国は、公式に社会主義体制を放棄した新しい連邦「ユーゴスラビア連邦共和国」を形成した。ユーゴスラビアは経済制裁下に置かれ、大きな経済的打撃を受けた。ユーゴスラビアは、ユーゴスラビア解体に伴って発生したクロアチア紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争への公式な関与は中止しており、セルビアは平和を保っていたものの、経済制裁が続いて経済は疲弊した。政権内外の民族主義者は民兵組織を作るなどして紛争への関与を続けた。1995年に両紛争は終戦を迎えたものの、1996年ごろからコソボのアルバニア人の民族主義勢力コソボ解放軍を中心に、コソボの独立を求めての武力闘争を始めた。これによってコソボ紛争が引き起こされ、1999年の北大西洋条約機構による爆撃に至った。1999年以降、セルビア領のコソボ・メトヒヤ自治州からはセルビアの統治権が排除され、国際的な監視下に置かれることになった。ユーゴスラビア崩壊以降の経済的苦境や、各種の紛争での敗北により、セルビアで強権を握っていたスロボダン・ミロシェヴィッチに対する不満が高まり、ミロシェヴィッチは2000年に失脚した(ブルドーザー革命)。セルビアとともにユーゴスラビア連邦を構成していたモンテネグロでも1997年ごろからミロ・ジュカノヴィッチを中心に独立要求が強まったため、EUの仲介により2003年にはユーゴスラビア連邦は、より緩やかな国家連合であるセルビア・モンテネグロに移行した。人口比で大幅にセルビアを下回るモンテネグロの政治的権限を大幅に拡大し、3年後の2006年以降再びモンテネグロの独立を問う事が出来る事を条件にして緩やかな連合国家セルビア・モンテネグロに変更された。 独立以降 2006年5月21日にモンテネグロは独立についての住民投票を実施し、賛成55.5%でモンテネグロ共和国の独立が決定した。これによって、モンテネグロは2006年6月3日(現地時間)に独立を宣言し、1918年のセルビアとの併合以来、88年ぶりに独立を回復することとなった。モンテネグロの独立によって、第2次世界大戦後にスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6共和国で誕生したユーゴスラビア連邦は完全に解体した。2006年6月5日、セルビア議会はセルビアがセルビア・モンテネグロの継承国家である事を宣言して、モンテネグロの独立を追認した。2008年2月17日にはセルビアの自治州でありながらセルビアの主権が及んでいない(その地位があいまいであった)コソボが独立を宣言した。セルビアはコソボを自国の不可分の領土であるとて、コソボの独立を認めていない。セルビアの同意のないまま、国際的監視下にあるコソボが一方的に独立することに対する国際法上の懸念などにより、コソボの独立に明確に反対の意思を表明する国も多く、コソボの独立を承認している国連加盟国は2008年末の時点では50箇国程度に留まっている。

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serbia_montenegro セルビア正教大聖堂


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serbia_montenegro カレメグダン公園 聖ペトカ教会や軍事博物館などがある


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serbia_montenegro 玄関のあけたら人が死んでいる


serbia_montenegro 民族や宗教の違いだけで人が殺しあう。。 俺は何もできないけど、早く解決することを願っている。でも、本当に複雑で、世界全体のテーマでもあるとおもう 俺たち日本人はもっと世界の出来事について学ばなければいけない


serbia_montenegro 気分が沈んだので空を見た でも、現実に起きた出来事として、心に留めなきゃ


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serbia_montenegro ベオグラードの建築は幅広く、ゼムン中心では典型的な中欧風の街並みが見られる一方、ノヴィ・ベオグラードにはより現代的で巨大な建築物が並ぶ。ベオグラードで最古の建造物はカレメグダン公園に残されている。カレメグダン公園の外では、その地理的関係、および度重なる戦乱や破壊のため、19世紀よりも古い建物はない。ベオグラードで最古の公共施設は平凡なトルコ式の墓であり、最古の家屋はドルチョルにある18世紀の地味な粘土造りのものである。西側からの影響の流入は19世紀に始まり、それまでのオリエンタルな街並みから一変して、新古典主義、ロマン主義、アカデミック様式の影響を受けた当時のヨーロッパの街並みへと造りかえられた。19世紀後半には外来の建築家に代わってセルビアの建築家が活躍するようになり、ベオグラード国立劇場、旧宮殿、聖大天使ミハイル大聖堂などが建てられた。20世紀初期には、アール・ヌーヴォーの影響を受けた国民議会やセルビア国立博物館などが建てられた


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serbia_montenegro 国会 住民について ベオグラードの住民は民族別ではセルビア人が1,417 187人、ユーゴスラビア人が22,161人、モンテネグロ人が21,190人、ロマが19,191人、クロアチア人が10,381人、マケドニア人が8,372人、ムスリム人が4,617人などとなっている。2007年の投票では、ベオグラードの人口はわずか5年で40万人の増加があったことが示唆されている。2008年8月2日の時点で、ベオグラードの情報統計局では1,542,773人の有権者が登録されており、その6年前の全人口を上回る有権者が登録されていることになり、2002年以降に急速な人口増加があったことが示されている。 ベオグラード情報統計局による2007年末の公式の推計では、街の人口は約1,630,000人となっている。 ベオグラードには旧ユーゴスラビア連邦各地の民族が居住している。住民の多くはより小さい街や村部からの移住者や、1990年代のユーゴスラビア紛争によって故郷を失ったクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボからの移民である。また、1990年代中期からの移民によって1万人から2万人程度の漢人がベオグラードに居住しているものと推定される。ノヴィ・ベオグラードのブロック70地区は中華街として知られている ベオグラードにはまた多くのインドネシア人、中東系の住民(主にシリア、イラン、ヨルダン、イラクから、1970年代から1990年代にかけて学業のために移り住み、その後街に定住した人々である、アフガニスタン人、イラクのクルド人難民も居住している ベオグラードには歴史的に複数の宗教の共同体が共存してきたが、街の宗教構成は比較的、均質である。セルビア正教会が圧倒的に最大であり、正教会の信者数は1,429,170人である。この他では20,366人がイスラム教、16,305人がローマ・カトリック教会、3,796人がプロテスタントに属する。ベオグラードにはかつて一定規模のユダヤ教の共同体があったが、ナチス・ドイツによる占領統治を経て、多くがイスラエルに移住し、その人口は515人にまで減少した


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serbia_montenegro NATO空爆の後 今も痛々しく残っています スロボダン・ミロシェヴィッチがどんな人物か知らなければいけない ということで、 スロボダン・ミロシェヴィッチ セルビアの政治家。セルビア共和国共産主義者同盟幹部会議長、セルビア共和国幹部会議長、セルビアの大統領(1989年 - 1997年)・ユーゴスラビア大統領(1997年 - 2000年)。セルビア社会党党首。欧米からは独裁者と見られている。 ベオグラードの東約70キロの町ポジャレヴァツで生まれ、ベオグラード大学法学部卒業後、ベオグラード情報局、ガス産業、ベオグラード銀行等、実業界で活躍した。政界に転身し、1978年~1982年、ベオグラードの共産主義者同盟幹部となり、1987年、コソヴォ訪問時、アルバニア人から迫害されたセルビア人と出会い、彼は「もはや侮辱されることはないだろう」と語った。それ以来、セルビア民族主義者中で人気を獲得し始めた。1986年にセルビア共和国共産主義者同盟幹部会議長に就任。自身の権力強化のために、セルビア民族主義を扇動、利用した。 1987年にイヴァン・スタンボリッチが辞任したのを受けて、セルビア共和国幹部会議長に就任した。スタンボリッチは2000年に何者かに誘拐され、2003年に死体で発見された。セルビアの秘密警察による犯行と見られている。 1990年には新設のセルビア共和国大統領に就任。1992年にミラン・パニッチ首相を破り再選された。1997年にはセルビア共和国大統領の任期切れを前にユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴ)第3代大統領に就任した。 1991年スロベニア・クロアチア・マケドニア共和国独立に、1992年ボスニア・ヘルツェゴビナ独立運動に軍事介入した。また1998年以降激化したコソボ紛争を治安部隊により弾圧したが、1999年のNATOによるユーゴ空爆後、コソボの国連管理を容認することとなる。 2000年秋、再選を目指し国民による直接投票となったユーゴスラビア連邦大統領選挙の際、選挙不正に怒った国民の抗議行動、いわゆる「ブルドーザー革命」により退陣し、連邦大統領の座をセルビア民主野党連合のヴォイスラヴ・コシュトニツァに譲った。コソボ紛争でのアルバニア人住民に対するジェノサイドの責任者として人道に対する罪で起訴され、経済援助を条件にするNATOの圧力の下、2001年4月に職権濫用と不正蓄財の容疑で逮捕・収監された。同年7月には同国憲法に違反して国連旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(オランダ・ハーグ)に身柄を移送され、以降人道に対する罪などで裁判が行われた。上記のスタンボリッチ殺害の容疑も、含まれている。 高血圧など体調の不具合という理由、また容疑事実の立証がなされなかったため、裁判は非常に長引いた。2006年3月11日朝、収監中の独房で死亡しているのが発見された。死因は心臓発作とされている。


セルビア・モンテネグロ 写真2

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セルビア・モンテネグロ 情報

セルビア・モンテネグロ

セルビア・モンテネグロは、東ヨーロッパに存在した国家。2003年に「ユーゴスラビア ユーゴスラヴィア連邦共和国」から改称した。セルビア人の人口が多いセルビア セルビア共和国とモンテネグロ人が多いモンテネグロ モンテネグロ共和国、およびセルビア共和国内のヴォイヴォディナ自治州とコソボ自治州で構成されていた。
ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア、マケドニア共和国 マケドニアと国境を接していた。
上記の2つの共和国と2つの自治州は民族構成がかなり異なり、またユーゴ連邦政府はセルビアが中心に運営していたためモンテネグロ側から独立要求が起こり、その不安定要因を回避するため2003年に国名をユーゴスラビアから「セルビア・モンテネグロ」と改称し、緩やかな共同国家とした。

セルビア・モンテネグロの国歌

歌詞はスロバキアの聖職者であり、且つ詩人及び歴史家でもあるSamuel Tomášikが1834年にプラハを訪れた際に書かれた。
プラハの通りでチェコ語よりドイツ語の方が多く聞こえて来た事に反感を感じ、日記にこう記している:
:…もし西スラブ世界の真珠、母なるプラハが、ドイツ語の海の中に消えてしまうとしたら、プラハを精神的な栄養とするわが親愛なる母国スロバキアの行く手に何が待っているだろう。このような考えに縛られながら、私は古いポーランドの歌(注:ポーランドの国歌 ドンブロフスキのマズルカ)、『Jeszcze Polska nie zginęła, póki my żyjemy(われらが生きる限り、ポーランドはまだ消えない)』を思い出していた。この慣れ親しんだメロディーは、私の心に『Hej, Slovaci, ešte naša slovenska reč žije(おい、スロバキア人よ、われらのスロバキア語はまだ生きている)』という挑戦的な内容の詩を噴き出させた。…私は部屋に駆け込み、キャンドルをともし、日記帳に鉛筆で三つの節を書き込んだ。こうして歌は一瞬で出来上がった。(1834年11月2日日曜日のSamuel Tomášikの日記より)

セルビア・モンテネグロの歴史

セルビア・モンテネグロの歴史を述べる。民族の歴史としてはセルビアの歴史およびモンテネグロの歴史も参照されたし。
この地域には「民族のモザイク」と呼ばれるため特定の国の歴史を記述するのは難しいといっていい。民族ではなく地域の歴史としてみれば、古代にはローマ帝国、中世には東ローマ帝国とオスマン帝国、近代にはオーストリア・ハンガリー二重帝国とロシア帝国など大国が影響力を行使してきたなかで歴史が形成されていったといえよう。
この地域には紀元前から人が定住してきた。紀元前1世紀に古代ローマ ローマの属州となりローマ化が進んだ。4世紀にはゲルマン人のテオドリックの反乱がいまのブルガリア周辺で勃発し、この地も騒乱の渦中となった。その後の民族大移動期には東ゴート人、フン族、アバール人がここを通過し、6世紀にはスラブ人が定住し、独自の王国を建設し始めた。これが今のセルビア人やモンテネグロ人、クロアチア人、スロヴェニア人のルーツである。ただし、モンテネグロ人だけは、古代イリュリアのイリュリア人の可能性も残されている。

セルビア・モンテネグロの国旗

用途及び属性=画像:FIAV 111000.svg 30px
縦横比=1:2
制定日=1992年4月27日
使用色=
セルビア・モンテネグロの国旗は、汎スラヴ主義 汎スラブ色の赤、白、青の横縞3色を配色した国旗。上下を逆にするとオランダのオランダの国旗 国旗になるが、厳密には縦横比が違う。ユーゴスラビア 旧ユーゴスラビアの時代は、中心に社会主義の象徴である赤い五角星がついていた。
国旗の一覧
ユーゴスラビアの国旗
セルビアの国旗
モンテネグロの国旗
国旗 せるひあ・もんてねくろ
セルビア・モンテネグロ *こっき
水平三分旗 せるひあもんて
ca:Bandera de Sèrbia i Montenegro
Flagge von Serbien und Montenegro
Flag of Serbia and Montenegro