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スペイン旅行記 1
美術・建築・デザインを訪ねる旅(バルセロナ編)
リポーター:ゆり旅行スタート日:2010/02/22
旅行終了日:2010/02/24
スペインはバルセロナを訪れました。
オリンピックがあったせいか、
今回廻った都市の中で
一番観光客用のサービスが充実しているように感じました。
今回のツアーではほとんどオプションツアーの申し込みを
していませんでしたが、ガウディの建築物を見てまわる
ツアーだけ申し込みました。
バルセロナ滞在日数が短く、
ガイドが欲しかったのと、
建築物の間が離れているため、バスで効率よく廻りたかったので。
滞在日数にゆとりがあり、ひとつひとつをじっくり観たい方は
個人で観てまわってもいいと思います。
カタルーニャ広場に向かうところ
よくわからないで広場に向かったのですが、
行ってみたら、観光バスに乗り込む人たちが・・。
ブルーバスとレッドバスの2種類があり、
経路が違います。
私はブルーバス・レッドバス1日乗り放題チケットを
チケット売場にて購入。22€。
これでバルセロナの街を大体把握することが
できますし、観光ポイントで乗り降りできるので便利です。(日本語ガイドもついてます)
カサミラ邸(ここは翌日、中も見学)
サグラダ・ファミリア(ここも翌日、見学)
レッドバスは海側を走ります。
添乗員さんからは「海側は治安がよくないので
行かないように」と言われていたのですが、
ツアーバスなら安心。。
スペイン旅行記 2
ドキドキの卒業旅行 [奇跡のバルセロナ編] ①
リポーター:may旅行スタート日:2010/02/18
旅行終了日:2010/02/25
スペイン
相方さんと卒業旅行。
完全フリーだったのでドキドキの連続、途中『大失態』もしでかしましたが、世界遺産はしっかり目に焼き付けてきました☆
ドキドキの卒業旅行 [憧れのローマ編] ①
02/18 成田空港(14:20)→フィウミチーノ空港(19:00)→ホテル
02/19 ヴァチカン博物館→サン・ピエトロ広場→コロッセオ→ヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂→パンテオン→サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会→トレヴィの泉
ドキドキの卒業旅行 [憧れのローマ編] ②
02/20 バルベリー二宮→コロッセオ→フォロ・ロマーノ→パラティーノの丘
ドキドキの卒業旅行 [憧れのローマ編] ③
02/21 午前:スペイン広場→サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂→テルミニ駅→フィウミチーノ空港(16:10)→バルセロナ空港(17:55)
ドキドキの卒業旅行 [奇跡のバルセロナ編] ①
02/21 バルセロナ空港(17:55) →ホテル
02/22 サグラダ・ファミリア→サン・パウ病院→グエル公園→グローリーズ(ショッピングセンター)
ドキドキの卒業旅行 [奇跡のバルセロナ編] ②
02/23 サン・ジュセップ市場→カテドラル→ガサ・バトリョ→ガサ・ミラ→サグラダ・ファミリア→カタルーニャ音楽堂→ゴシック地区→ランブラス通り
02/24 バルセロナ空港(11:40)→フィウミチーノ空港(13:25)
02/24 フィウミチーノ空港(15:00)→成田空港(11:20+1)
※宿泊 ローマ:モルガナ バルセロナ:アムレイ・ディアゴナル
バルセロナ空港。
新しいピカピカの空港。床に顔が映ります☆
カタルーニャ広場から地下鉄を使ってグロリアスへ。
バルセロナの地下鉄は6路線あって、ローマよりかなり便利。落書きもないし、ローマより明るい気がします。
しかしながら主要駅では「スリに気をつけましょう~」っていう日本語のアナウンスが流れていて、やっぱり治安はそんなによくないみたいです。
ローマで地下鉄に慣れて調子に乗っていたのですが、正直スーツケースを持って地下鉄に乗るのはかなり危険なことでした。なので帰国日はタクシーに・・。
エアロバスはおススメしますが、そこからの地下鉄はおススメしません(泣)
これも最終日の写真。
バルセロナ空港からエアロバスに乗ってカタルーニャ広場を目指します。
空港からの移動方法はいろいろあるけどこの方法が一番簡単といううわさ☆
乗車券は片道5ユーロ。往復で買うと8.5ユーロ(帰国日に知った事実)
この時刻表のように便もたくさんあります。
ちなみにこれは最終日に撮った写真。
初日にこんな写真撮る余裕ありません(笑)
グロリアスからはトラムに乗り換えます。
行き先と到着までの時間が表示。
アムレイ・ディアゴナルへはグロリアスから2番目の停留所で降ります。
バルセロナのホテルはアムレイ・ディアゴナル。
広くてまるでマンションみたいなお部屋はオシャレでとっても過ごしやすかったです!
フロントのお姉さんもとっても親切☆
バルセロナの人たちはみんなニコニコしていてほんとに優しかったな~
バルセロナ観光一日目。
昨日は気づかなかったけどサグラダ・ファミリアが部屋から見えました☆
早く行きたーい!!
トラムと地下鉄を使ってサグラダ・ファミリア到着。
8時50分で並んでいるのは20人程度(うち3分の2が日本人)(笑)
そして、
きたぁーーーーーーーー
憧れのサグラダ・ファミリア。
コーヒーのCMを見てから十数年。夢に見たサグラダ・ファミリアがついに目の前に現れたました☆☆☆
(受難のファザード)
サグラダ・ファミリアの外観はどこまでも細かくて、繊細で、それでいて雄大で、なんともいえない美しさでした。
福音の扉。記してあるのはイエスの生涯の最後の二日間について。
中に入ってみるとさらに感動☆☆
ステンドグラスがとーっても素敵でした。
色の使い方が違うのかな~~?
サグラダ・ファミリアは現在も工事中。
朝からたくさんの人が働いていました。
塔の上まで上がるエレベーターを待っている間カメラを向けてみると、ピース☆
そして到着。
絶景です。
バルセロナ一高い建物として作られたサグラダ・ファミリアからは街が一望でき、あちこちから感嘆の声が上がっていました。
神へ捧げる果物のオブジェ。
しかーし
塔はけっこうな高さがあります。
高所恐怖症の私たちはガクガクです。
きれいだけど
ガクガクです。
降りるときは階段で。
貝の渦をイメージした階段ですが、手すりは外側だけで真ん中には人が通りそうな穴が開いています。
無言で降ります。
こわーい(泣)
教会の内部。
自然の木を基に作られたデザインで、節目の様子がよくわかります。
そのまま教会を出て、人の流れについていくと展示室へ。
10分の1スケールの模型がありました。
模型でも十分な美しさ。
これはコロニア・グエル教会のフニクラ模型。
コロニア・グエル教会は市街地から少し離れた所にあり、ガウディの最高傑作という人も少なくない作品です。サグラダ・ファミリアに専念するため、ガウディは途中でその建築を放棄、地下聖堂のみが完成しています。
フニクラとはガウディが生み出した新しい建築技法で、その詳細は素人には難しいのですが、ガウディはよりスマートな建築を目指すため建物の構成要素の重さを計算、次に重りを下げた糸を用いて模型を作り、建物を逆さにした形をシュミレートしたそうです。
うーん。よくわからないけど、この技法によってガウディ建築の特徴であるそ双曲線形のアーチが生まれたそうです。
これならわかりやすいかも☆
これはサグラダ・ファミリア完成図。
建築開始から約120年、まだほんの一部(黒い部分)しかできてないんですね・・
おみやげ屋さんをのぞいた後、生誕のファザードのほうへ。
受難のファザードとはまったく違う印象です。
ガウディが生前に手がけたのはこちらなのですが、どういう意向で受難のファザードのデザインに落ち着いたのか・・まったく違う趣向なだけあって不思議です。
日本人彫刻家、外尾悦郎さんの作品。
夢に見たサグラダ・ファミリアは本当に本当に素敵でした。
でも、???がいっぱい。
サグラダ・ファミリアにあったおみやげ屋さんで売っていた本で復習中です。
一応アマ○ンでは売っていなかったので、現地限定なのかな~~☆
後ろ髪を引かれながらサグラダ・ファミリアをあとに。ガウディ通りを北上し、サンパウ病院を目指します。
そして到着。
イッツ メルヘーン♪♪
カタルーニャ音楽堂を作ったドメネクの作品です。
内部もピンクを貴重にしたメルヘンなデザイン。
でも嫌味じゃないのが不思議♪♪
残念ながら工事中で内部の見学はできませんでした。でも十分「姫気分」を味わえました。
こだわってますね~~
ここからはバスに乗って移動。92番のバスでグエル公園を目指します。
バスの中には親切な方がたくさん。
私たちがガイドブックを開いてきょろきょろしているとおじいさんが降りるバス停を教えてくださり、お姉さんが「分からないでしょう~」と、降車ボタンを押してくれました。
優しさに癒されます♪
グエル公園到着~
自然溢れる公園は、日本の公園より自然体。
ガウディの建築が自然の一部になっている様子がよくわかります。
昼食は公園内で~~
バルセロナに来て少しだけ心に余裕が・・
ローマではずっとバックの口を手で握ってスリを警戒していました。。
ローマとバルセロナでは人口密度が違う気がします(笑)
有名なベンチにも座って☆
回廊を抜け
トカゲ君ともご対面。
ちなみに街中でトカゲ君キーホルダーが売っていました☆
Park♪
でもこの頃から雲行きも怪しくなってきたのでホテルへ帰ることにしました(泣)
帰る前にグローリーズのスーパーに行ってみました☆
やっぱり海外のスーパーはビッグ。
水の調達にはスーパーが一番!
2Lを買って0.5Lのペットボトルに移し変えて持ち運んじゃいます^^(笑)
ホテルに戻るとテレビでやっていた「く○よんしんちゃん」
しんちゃんの声がなんとも言えなくて笑っていると、相方さんはいつの間にか夢の中・・
そして朝まで夢の中・・
私もサグラダ・ファミリアをしばらく眺め、夢の中へ。
それでは
ドキドキの卒業旅行[奇跡のバルセロナ編]② へ
スペイン 写真2
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スペイン
略名 スペイン日本語国名 スペイン
漢字表記 西班牙
国旗画像 Flag of Spain.svg
国章画像 ファイル:Escudo de España.svg 100px スペインの国章
国章リンク (スペインの国章 国章)
位置画像 Location Spain EU Europe.png
公用語 スペイン語 sup1;
首都 マドリード (マドリッド)
最大都市 マドリード (マドリッド)
元首等肩書 スペイン君主一覧 国王
元首等氏名 フアン・カルロス1世 (スペイン王) フアン・カルロス1世
首相等肩書 スペインの首相 首相
首相等氏名 ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテーロ
面積順位 50
面積大きさ 1 E11
面積値 504,782
水面積率 1.0%
スペイン村
『志摩スペイン村』より : 志摩スペイン村(しまスペインむら)は、三重県志摩市磯部町坂崎にある複合リゾート施設。近畿日本鉄道㈱(近鉄)が、総合保養地域整備法(通称リゾート法)の施行に合わせ1988年に策定された「三重サンベルトゾーン」構想に基づき、三重県[磯部町(現志摩市)の協力を得て開発した施設で、テーマパーク「パルケエスパーニャ」を中核施設に、ホテル志摩スペイン村、天然温泉「ひまわりの湯」の3施設で構成されている。
開発当初は、リゾートマンションやコテージ等、多層的に展開するレジデンシャルゾーンの開発計画もあったが現在は凍結されている。
志摩スペイン村の全体開発面積は113haに及ぶが、その内100haについては近鉄が昭和30年代初期に東京オリンピック開催に合わせ、ゴルフ場や別荘地等を開発するために取得した社有地であった。上下水道や道路などインフラが未整備のため開発が中止されていたが、昭和50年代後半になりインフラ整備が整い始めるのに合わせ、当時年間1,300万人から1,400万人で停滞していた伊勢志摩エリアの観光入込客数の活性化策として、集客力のある新たな大規模レジャー施設の策定に着手した。当初、近鉄は磯部町での志摩スペイン村開発と同時に南鳥羽(スポーツ施設及び別荘)、阿児町横山(文化的要素をもつ新たな開発及び宿泊施設)、阿児町国府(ハワイをイメージしたマリンパーク的な施設)の社有地でもリゾート開発を計画し三重県、国土庁(現国土交通省)に開発を届け出ているが、全てを開発するには莫大な資金がかかるためリゾート法の適応を受けた志摩スペイン村から開発することとした。
スペイン独立戦争
『半島戦争』より : 半島戦争(1808年 - 1814年)(英語 英:”Peninsular War”(半島戦争)、スペイン語 西:”Guerra de la Independencia Española”(スペイン独立戦争)、ポルトガル語 葡:”Guerra Peninsular”(半島戦争)、フランス語 仏:”Guerre d”Espagne”(スペイン戦争)カタルーニャ語:”Guerra del Francès”(フランス戦争))はナポレオン戦争中イベリア半島でスペイン軍、ポルトガル軍、イギリス軍と共にフランス第一帝政 フランス帝国軍に対して戦った大戦争である。日本ではスペイン独立戦争(上記スペイン語参照)として知られている。この戦争は「ハンマーと金敷」の役に擬えられている。すなわち「ハンマー」とはウェリントン公アーサー・ウェルズリー ウェリントン公に率いられた4万から8万の軍勢からなる英葡軍であり、それによって金敷であるスペインの軍とゲリラとポルトガルのミリシア 民兵軍の上でフランス軍が打ちのめされたのである。スペインの歴史
この項ではスペインの歴史を述べる。後期旧石器時代の紀元前14000年代 クロマニョン人がスペイン北部にてアルタミラ洞窟の壁に動物画を残した。
紀元前5000年ごろの新石器時代には巨石文化とともにイベリア人が移籍してきた。
紀元前1000年ごろ、ガリアのケルト人がピレーネ山脈を越えて移住してきた。
紀元前12世紀、フェニキア人がイベリア半島に進出。フェニキア人はヨーロッパで最古の都市カディスを建設。フェニキア人はイベリア半島に鉱山や漁業交易を支配するためにイベリア半島に進出してきたが、征服はしなかった。その代わりフェニキア人はイベリア人に数字やアルファベットを伝えたのである。時を同じくしてケルト人やギリシャ人もイベリアを訪れるようになり、その頃からイベリアは数多くの地域と交易をするようになった。
スペイン史
『スペインの歴史』より : この項ではスペインの歴史を述べる。後期旧石器時代の紀元前14000年代 クロマニョン人がスペイン北部にてアルタミラ洞窟の壁に動物画を残した。
紀元前5000年ごろの新石器時代には巨石文化とともにイベリア人が移籍してきた。
紀元前1000年ごろ、ガリアのケルト人がピレーネ山脈を越えて移住してきた。
紀元前12世紀、フェニキア人がイベリア半島に進出。フェニキア人はヨーロッパで最古の都市カディスを建設。フェニキア人はイベリア半島に鉱山や漁業交易を支配するためにイベリア半島に進出してきたが、征服はしなかった。その代わりフェニキア人はイベリア人に数字やアルファベットを伝えたのである。時を同じくしてケルト人やギリシャ人もイベリアを訪れるようになり、その頃からイベリアは数多くの地域と交易をするようになった。
スペイン海軍艦艇一覧
スペイン海軍艦艇一覧は、スペイン海軍が過去保有した、または現在保有する、または将来保有する予定の、未完成・計画中止を含めた歴代艦艇一覧である。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 船/記事名/船種表記/艦艇一覧表記の検討 凡例
国防予算:109億9,000万ドル(+18億9,000万ドル)
海軍人員:1万4,093名(-1名)
艦船隻数:107隻(+5隻)
:潜水艦×4
:空母×1
:フリゲート×11
:哨戒艦×14
:哨戒艇×23
:ドック型輸送揚陸艦×2
:戦車揚陸艦×2(+1)
:揚陸艇×11
:掃海艇×6
:測量/調査艦×7
:練習艦艇×15(+4)
:補給艦×1
:給油艦×1
スペイン・ワイン
『ワイン』より : ワイン(英語:”Wine” 独語:”Wein” フランス語 仏語:”Vin” 伊語:”Vino” )は、時に葡萄酒(ぶどうしゅ)とも呼ばれ、主としてブドウの果汁を発酵させたアルコール飲料である。通常、単に「ワイン」と呼ばれた場合には、他の果汁を主原料とするものは含まない。酒税法では、「果実酒」に分類されている。
ワインの主成分は、水、エタノール、各種の有機酸、糖、グリセリン、アミノ酸、核酸、タンニン、炭酸ガスなどである。各種の有機酸の中では、酒石酸、リンゴ酸、クエン酸、乳酸、酢酸、コハク酸の6つがワインの風味に関して最も重要な要素と考えられている。また、貴腐ワインには、グルコン酸が多く含まれている。
スペイン語
nativename Español ; Castellanofamilycolor インド・ヨーロッパ
states スペイン、メキシコ、コスタリカ、アルゼンチン、ペルー、チリなどと多くの国家・地域(約20カ国)
region ヨーロッパ、アメリカ州、アフリカ・オセアニア・オーストラリアなどの旧植民地
speakers 4億2000万人
rank 4-5(基準によって順位は異なる)
fam1 インド・ヨーロッパ語族
fam2 イタリック語派
fam3 ロマンス語
fam4 西イタロ語
fam5 西部
fam6 ガロ・イベリア語
fam7 イベロ・ロマンス語
fam8 西イベリア語
nation 話者分布 下記参照
iso1 es
iso2 spa
iso3 spa
スペイン方陣
『テルシオ』より : テルシオ(Tercio)は、1534年から1704年にかけてスペイン王国が採用した軍事編成。あるいはまた、その部隊の戦闘隊形。単に戦闘隊形を指す場合はスペイン方陣(Spanish square)とも呼ぶ。テルシオの編成や戦闘隊形は、17世紀初頭までヨーロッパ各国で盛んに模倣された。およそ700年にわたるレコンキスタを完成させたスペイン王国は、イベリア半島の過半を支配下に置き、ヨーロッパの強国の地位を他国と争うようになっていた。1494年、フランスのイタリア半島への侵攻によってイタリア戦争が勃発すると、スペインはアラゴンの継承権を理由にこの戦争に介入した。ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバを総司令官として、イタリア半島へ送り込まれたスペイン軍であったが、セミナラの戦いでフランス軍に敗北した。この当時のスペイン軍は、剣と盾 円盾を装備した歩兵と、ヒネーテ(Jinete)と呼ばれる軽騎兵を中心としていた。しかしながら、この編成では重騎兵とスイス人傭兵 スイス槍兵を中心としたフランス軍に野戦で勝利することはできなかった。(詳細はゴンサロの項を参照)
スペイン式方陣
『テルシオ』より : テルシオ(Tercio)は、1534年から1704年にかけてスペイン王国が採用した軍事編成。あるいはまた、その部隊の戦闘隊形。単に戦闘隊形を指す場合はスペイン方陣(Spanish square)とも呼ぶ。テルシオの編成や戦闘隊形は、17世紀初頭までヨーロッパ各国で盛んに模倣された。およそ700年にわたるレコンキスタを完成させたスペイン王国は、イベリア半島の過半を支配下に置き、ヨーロッパの強国の地位を他国と争うようになっていた。1494年、フランスのイタリア半島への侵攻によってイタリア戦争が勃発すると、スペインはアラゴンの継承権を理由にこの戦争に介入した。ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバを総司令官として、イタリア半島へ送り込まれたスペイン軍であったが、セミナラの戦いでフランス軍に敗北した。この当時のスペイン軍は、剣と盾 円盾を装備した歩兵と、ヒネーテ(Jinete)と呼ばれる軽騎兵を中心としていた。しかしながら、この編成では重騎兵とスイス人傭兵 スイス槍兵を中心としたフランス軍に野戦で勝利することはできなかった。(詳細はゴンサロの項を参照)
スペイン人
『スペイン』より : スペイン(エスパーニャ)は、ヨーロッパ南西部、イベリア半島の大部分を占める国家 国。首都はマドリード。ポルトガル、イギリス領ジブラルタル、フランス、アンドラと接している。本土以外に、大西洋のカナリア諸島や、北アフリカにセウタとメリリャの2つの飛び地や、アルボラン海にあるアルボラン島を領有している。略名 スペイン
日本語国名 スペイン
公式国名 España
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首都 マドリード
スペイン国
『スペイン』より : スペイン(エスパーニャ)は、ヨーロッパ南西部、イベリア半島の大部分を占める国家 国。首都はマドリード。ポルトガル、イギリス領ジブラルタル、フランス、アンドラと接している。本土以外に、大西洋のカナリア諸島や、北アフリカにセウタとメリリャの2つの飛び地や、アルボラン海にあるアルボラン島を領有している。略名 スペイン
日本語国名 スペイン
公式国名 España
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スペイン王国
『スペイン』より : スペイン(エスパーニャ)は、ヨーロッパ南西部、イベリア半島の大部分を占める国家 国。首都はマドリード。ポルトガル、イギリス領ジブラルタル、フランス、アンドラと接している。本土以外に、大西洋のカナリア諸島や、北アフリカにセウタとメリリャの2つの飛び地や、アルボラン海にあるアルボラン島を領有している。略名 スペイン
日本語国名 スペイン
公式国名 España
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スペインの映画
スペイン映画は、スペイン国籍を持つ者またはスペインの法人によって製作された映画で、ほとんどの場合、スペイン人の映画スタッフと俳優で構成され、主にスペイン国内の映画館等で公開される映画を指す。スペインでもさまざまな映画が撮影されているが、特徴の一つとしてジプシーを描いた作品や『カルメン』的世界を描いたものなど、海外から見た類型的スペイン像を描いている映画とも言える作品が挙げられる。1970年代まで及んだフランコ独裁政権の影響で、スペイン内戦に関する映画が独裁以後に出てきていることなども特徴に挙げられる。中南米に広がるスペイン語圏もスペイン映画のマーケットの一つであり、近年南アメリカ 南米との合作映画も増えてきている。監督アレハンドロ・アメナバール、男優アントニオ・バンデラス、女優ペネロペ・クルスなど、スペイン映画界からハリウッドに進出する者も目立っている。
スペイン映画
スペイン映画は、スペイン国籍を持つ者またはスペインの法人によって製作された映画で、ほとんどの場合、スペイン人の映画スタッフと俳優で構成され、主にスペイン国内の映画館等で公開される映画を指す。スペインでもさまざまな映画が撮影されているが、特徴の一つとしてジプシーを描いた作品や「カルメン」的世界を描いたものなど、海外から見た類型的スペイン像を描いている映画とも言える作品が挙げられる。1970年代まで及んだフランコ独裁政権の影響で、スペイン内戦に関する映画が独裁以後に出てきていることなども特徴に挙げられる。中南米に広がるスペイン語圏もスペイン映画のマーケットの一つであり、近年南米との合作映画も増えてきている。監督アレハンドロ・アメナバール、男優アントニオ・バンデラス、女優ペネロペ・クルスなど、スペイン映画界からハリウッドに進出する者も目立っている。
スペイン内戦
スペイン内戦(スペインないせん、Guerra Civil Española、1936年7月 - 1939年3月)とは、第二共和政期のスペインで勃発した内戦。マヌエル・アサーニャ アサーニャ率いる左派の人民戦線政府と、フランシスコ・フランコ・バハモンデ フランコ将軍を中心とした右派の反乱軍とが争った。反ファシズム陣営である人民戦線をソビエト連邦が支援し、フランコをファシズム陣営のドイツ・イタリアが支持するなど、第二次世界大戦の前哨戦としての様相を呈した。第一次世界大戦後のスペインでは、右派と左派の対立が尖鋭化していた上にカタルーニャやバスクなどの地方自立の動きも加わり、政治的混乱が続いていた。そのため、一時はプリモ・デ・リベラ将軍(ファランヘ党創設者の同名のホセ・アントニオ・プリモ・デ・リべーラ侯爵は彼の息子である)による軍事独裁政権も成立した。1931年に左派が選挙で勝利し、王制から共和制へと移行(スペイン革命)するが、1933年の総選挙では右派が勝利して政権を奪回するなど、左派と右派の対立は続いた。左右両勢力とも内部の統一が図れなかったため、政治的膠着状態が続いていたが、1935年にコミンテルン第7回大会で人民戦線戦術が採択されると左派勢力の結束が深まり、1936年の総選挙で再び左派が勝利し、マヌエル・アサーニャが率いる人民戦線政府が成立した。これに対して、スペイン領モロッコでフランシスコ・フランコ将軍が反乱を起こすと、カトリック教会、地主、資本家、軍部などの右派勢力はこれを支持してスペイン全域を巻き込む内戦へと突入した。
スペイン市民戦争
『スペイン内戦』より : スペイン内戦(スペインないせん、Guerra Civil Española、1936年7月 - 1939年3月)とは、第二共和政期のスペインで勃発した内戦。マヌエル・アサーニャ アサーニャ率いる左派の人民戦線政府と、フランシスコ・フランコ・バハモンデ フランコ将軍を中心とした右派の反乱軍とが争った。反ファシズム陣営である人民戦線をソビエト連邦が支援し、フランコをファシズム陣営のドイツ・イタリアが支持するなど、第二次世界大戦の前哨戦としての様相を呈した。第一次世界大戦後のスペインでは、右派と左派の対立が尖鋭化していた上にカタルーニャやバスクなどの地方自立の動きも加わり、政治的混乱が続いていた。そのため、一時はプリモ・デ・リベラ将軍(ファランヘ党創設者の同名のホセ・アントニオ・プリモ・デ・リべーラ侯爵は彼の息子である)による軍事独裁政権も成立した。1931年に左派が選挙で勝利し、王制から共和制へと移行(スペイン革命)するが、1933年の総選挙では右派が勝利して政権を奪回するなど、左派と右派の対立は続いた。左右両勢力とも内部の統一が図れなかったため、政治的膠着状態が続いていたが、1935年にコミンテルン第7回大会で人民戦線戦術が採択されると左派勢力の結束が深まり、1936年の総選挙で再び左派が勝利し、マヌエル・アサーニャが率いる人民戦線政府が成立した。これに対して、スペイン領モロッコでフランシスコ・フランコ将軍が反乱を起こすと、カトリック教会、地主、資本家、軍部などの右派勢力はこれを支持してスペイン全域を巻き込む内戦へと突入した。
スペイン内乱
『スペイン内戦』より : スペイン内戦(スペインないせん、Guerra Civil Española、1936年7月 - 1939年3月)とは、第二共和政期のスペインで勃発した内戦。マヌエル・アサーニャ アサーニャ率いる左派の人民戦線政府と、フランシスコ・フランコ・バハモンデ フランコ将軍を中心とした右派の反乱軍とが争った。反ファシズム陣営である人民戦線をソビエト連邦が支援し、フランコをファシズム陣営のドイツ・イタリアが支持するなど、第二次世界大戦の前哨戦としての様相を呈した。第一次世界大戦後のスペインでは、右派と左派の対立が尖鋭化していた上にカタルーニャやバスクなどの地方自立の動きも加わり、政治的混乱が続いていた。そのため、一時はプリモ・デ・リベラ将軍(ファランヘ党創設者の同名のホセ・アントニオ・プリモ・デ・リべーラ侯爵は彼の息子である)による軍事独裁政権も成立した。1931年に左派が選挙で勝利し、王制から共和制へと移行(スペイン革命)するが、1933年の総選挙では右派が勝利して政権を奪回するなど、左派と右派の対立は続いた。左右両勢力とも内部の統一が図れなかったため、政治的膠着状態が続いていたが、1935年にコミンテルン第7回大会で人民戦線戦術が採択されると左派勢力の結束が深まり、1936年の総選挙で再び左派が勝利し、マヌエル・アサーニャが率いる人民戦線政府が成立した。これに対して、スペイン領モロッコでフランシスコ・フランコ将軍が反乱を起こすと、カトリック教会、地主、資本家、軍部などの右派勢力はこれを支持してスペイン全域を巻き込む内戦へと突入した。
スペイン動乱
『スペイン内戦』より : スペイン内戦(スペインないせん、Guerra Civil Española、1936年7月 - 1939年3月)とは、第二共和政期のスペインで勃発した内戦。マヌエル・アサーニャ アサーニャ率いる左派の人民戦線政府と、フランシスコ・フランコ・バハモンデ フランコ将軍を中心とした右派の反乱軍とが争った。反ファシズム陣営である人民戦線をソビエト連邦が支援し、フランコをファシズム陣営のドイツ・イタリアが支持するなど、第二次世界大戦の前哨戦としての様相を呈した。第一次世界大戦後のスペインでは、右派と左派の対立が尖鋭化していた上にカタルーニャやバスクなどの地方自立の動きも加わり、政治的混乱が続いていた。そのため、一時はプリモ・デ・リベラ将軍(ファランヘ党創設者の同名のホセ・アントニオ・プリモ・デ・リべーラ侯爵は彼の息子である)による軍事独裁政権も成立した。1931年に左派が選挙で勝利し、王制から共和制へと移行(スペイン革命)するが、1933年の総選挙では右派が勝利して政権を奪回するなど、左派と右派の対立は続いた。左右両勢力とも内部の統一が図れなかったため、政治的膠着状態が続いていたが、1935年にコミンテルン第7回大会で人民戦線戦術が採択されると左派勢力の結束が深まり、1936年の総選挙で再び左派が勝利し、マヌエル・アサーニャが率いる人民戦線政府が成立した。これに対して、スペイン領モロッコでフランシスコ・フランコ将軍が反乱を起こすと、カトリック教会、地主、資本家、軍部などの右派勢力はこれを支持してスペイン全域を巻き込む内戦へと突入した。
スペイン人の一覧
現在のスペイン出身者や、スペインで大きく活動した人物の一覧。民族や宗教は問わない。在外者、歴史的な地域も含む。この一覧で取り扱う範囲
ガリシア・アストゥリアス州 アストゥリアス・カンタブリア州 カンタブリア
カスティーリャ(カスティーリャ・ラ・マンチャ州 ラ・マンチャ・カスティーリャ・レオン州 レオン・マドリード マドリー)
エストゥレマドゥーラ州 エストレマドゥラ・アンダルシア州 アンダルシア・ムルシア州 ムルシア・セウタ&メリヤ・カナリア諸島 カナリア、ジブラルタル
マヌエル・アサーニャ - 政治家
エレナ・アナヤ - 女優
アブラバネル家
イェフダ・レオネ・アブラバネル(レオ・ヘブラエウス) - ユダヤ教徒
